四椛 睡

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2/16/2024, 6:37:57 AM

To.10年前の私

 元気で生きていないことは判っています。そして、今あなたが一番訊きたいことも判っている。私はあなたですもの。
 だから私好みに、端的に言いましょう。

 世界は苦悶に満ちています。私は然程、幸福ではありません。戦争は起こるし水は腐るし、夏は燃えて冬は凍ったり……やっぱり燃えたりします。核より恐ろしいものが飛び交っています。あなたが今感じている『地獄』と変わりありません。

 しかし、全く不幸というわけでもないのです。それは確かです。
 というより寧ろ、10年後のあなたは『幸福マスター』です。どんな小さな出来事からも幸福を見つけ出す天才になっています。そして、その幸せを他人へ分け与える余裕を持っています。
 何故、そんなことが出来るようになったのか。

 答えは、私がこの手紙を書いている今から10年前の経験に隠されています。

From.10年後の私

2/13/2024, 7:14:13 AM

 英語を覚えた。
 中国語を覚え、フランス語、イタリア語、ドイツ語、アラビア語、ロシア語、その他あらゆる言語を可能な限り覚えた。
 手話を覚えた。
 点字を覚えた。
「言語学者にでもなるつもりかよ」
 友達が揶揄ってくる。そんな崇高な目的なんてない。もっと個人的で俗っぽくて、ちょっと恥ずかしい理由だ。

「愛してる」

 その一言を伝えたい。
 ただそれだけ。

2/11/2024, 2:56:28 AM

 誰もがみんな寝静まる真夜中、影が動き出す。
 寝床を出てふわりと宙に浮いた影は、するすると夜空へ昇る。影は星空が好きだ。凍て星が一等お気に入りだけれど、その実、星が輝けば季節など関係ない。地を潤す雨も、静かに世界を覆う雪も、悪戯な風も、轟く雷も好きだ。誰もがみんな、そうであるように。

 夜空をご機嫌に散歩中、綺麗なベッドで眠る幸福な子供を見つける。誰もがみんな好きなように、影も幸福な子供が好きだ。影はするすると子供の枕元に降りる。そしてこめかみにキスをして夢を頂戴する。
 ふわふわで甘い天国の味を堪能して、再び夜空へ。

 しばらくして、今度は不幸な子供を見つける。ごみ同然の、住居とは言えない住居の中で、ごみと見紛えるほどに汚い可哀想な子供。誰もがみんな同情するだろう痩躯を見下ろし、影は憐れに思う。どうしてみんなが平等な夜を過ごし、平等な朝を迎えられないのか不思議に思う。
 するすると子供の傍らに降りた影は身体を横たえる。ありもしない体温を分け与えるように。そうしながら、自分の身に溜めた幸福を優しく分けてあげる。きっと誰もがみんな、こうするだろうと希望を抱きながら。

2/10/2024, 5:41:18 AM

 入院中の夫がクローバーをくれた。
「これ、どうしたの?」
「作ったんだ」
 こいつで、と掲げられたのは一冊の『折り紙の本』。談話室に設置された本棚で見つけたらしい。スマホで動画を観尽くし、無料漫画も読み尽くし、SNSのチェックにも飽きたようだ。ふーん、いいんじゃない? ずっとスマホを弄るのは目に悪いからね。
「でも、なんでクローバー?」
「『数分でも見舞いに来てくれる妻に幸あれ』ってね」

 その日から夫は毎回折り紙を折って、私に作品をくれる。
 ハート。蓮の花。薔薇。チューリップ。紫陽花。朝顔。カラー。水仙。ひまわり。ダリア。椿。たんぽぽ。カーネーション。
 私の名前に入ってる桃の花が沢山。私が好きな百合は、もっといっぱい。
 花柄の箱まで用意してくれた。勿論、イラスト込みでの手作りだ。それに入れて、貰った花は大切にとっておいている。ひとつも欠かさずに。
 最後の作品はポインセチア。メリークリスマスの言葉と一緒に差し出され、私は泣いた。彼の退院と同じぐらい最高のクリスマスプレゼントだった。


 さあ、今度は私の番。
 ひと折りひと折りに感謝の気持ちを込めて。
 恐竜好きな彼のために、まずはティラノサウルスを折ってあげよう。

2/9/2024, 3:12:00 AM

 無理に笑わなくても良いんだよ、なんて。酷いことを言うのね。
 私は、あなたを笑顔にしたくてアイドルになったのに。

 そう言ってやったら困った顔で「いつだって笑顔だよ」と言われた。
「大好きなきみが幸せなら。欲を言えば、傍にいてくれるだけで、どんな辛い時でも笑顔になれちゃうよ」
 確かに笑顔だ。困った子供を相手にするような態度だけれど、目許も口許も柔らかな弧を描いている。けれど本物に見えないのは――心の底から湧き起こるものに見えないのは、きっと私が幸福ではないからなのね。

 唯一あなたを、一生懸けて笑わせたい。
 これが私の引退理由。

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