大切な人物や、生きていく基盤の話をしたって極個人的な内容になっちゃうからさ…。
もう少し違うレイヤーの話をするとね、
人は案外、
何かそのものよりも、
通過によって鍛えられた痕跡を
いちばん手放せなかったりするんじゃないかな。
薄かったものが濃くなる。
曖昧だった自分の核が、
強度を持つ。
それは、
失ったから残ったのではない。
消えたものの影を見ているわけでもない。
確かに在ったから、濃く刻まれた。
流動的なものは、
偽物でもないんだよ。
題 大切なもの
本来は、
小さな嘘で空気を緩める日だった。
けれどネットが拡大した現代は、
届く範囲が広がりすぎて、文脈が消えた。
内輪の遊びは外に漏れ、
嘘は拡散され、回収は遅れる。
午前だけ、という前提も崩れ、
年度初めの慌ただしさの中に誤情報が混ざる。
気づいたときにはもう、ただのノイズだ。
文化が劣化したわけじゃない。
スケールだけが変わって、設計が追いついていない。
小さな部屋で成立していた遊びを、
そのまま街に流しているようなものだ。
だから、これは、
この日を嫌いになった理由を並べた文章で——
エイプリルフールなのに、
妙に正直だ。
題 エイプリルフール
無理にうまくやらなくていい。
ただ、あなたがあなたでいられる時間が、
どこかにありますように。
マリーゴールドが風に揺れるたび、
あの色が思い出されるから、
たぶん私は、通り過ぎることに失敗している。
あなたの残した気配の中で。
題 幸せに
この世界の悪を制しているのは、正義ではない。
それは、より研ぎ澄まされた悪である。
悪を為すことは、決して容易ではない。
頂に立つためには、
冴えた知と、冷徹な計算が求められる。
そしてその頂は、正義を装うのではなく、
真に善良な者さえも、疑いなきままに駒として用いる。
清らかさだけでは、悪を出し抜くことはできない。
無垢のままでは、守りきれないものがある。
だからこそ、
何気ない顔のまま、したたかに振る舞う必要がある。
それでもなお、
護るべきものだけは、どうか見失われませんように。
「綺麗なままじゃいられない。
でも、何のために汚れるのかは忘れるな。」
題 何気ないふり
クリストファー・ロビン は、物語の終わりに
くまのプーさん に、こう告げる。
「君が僕のかわりに、
この森で、何もしないことを続けてくれる?」と。
やがて彼は成長し、
これまでと同じようにはいられなくなる。
「何もしない自分」は、そこで終わっていく。
けれど、そのかたちは消えてしまうわけではない。
プーの中で、変わらずに続いていく。
だから彼は、前へ進むことができる。
何かをすべて失わずにいられる。
あれはきっと、
「ここから先は、別のかたちで持っていくよ」
という終わり方なのだと思う。
クリストファー・ロビンは、
「何もしない自分」を、プーに預けた。
けれどそれは同時に、
自分ではもう、それを生きないと決めた、ということでもある。
プーは変わらず、そこにいる。
待ち続ける側として、在り続ける。
けれど彼は、もうそこには戻れない。
プーには“選ぶ”という感覚はない。
ただ、そう在るものとして、残されている。
頼まれたから、というよりも、
時間からそっと切り離された存在として、そこにいる。
だからこのやりとりは、静かで、どこかやさしく残酷だ。
片方は、時間に連れていかれ、
片方は、時間の外に置かれる。
そのまま、かたちを変えたまま、分かたれていく。
けれどこの構造は、特別なものではない。
成長そのものが、似たかたちをしている。
何かを置いていかなければ、先へは進めない。
そして、置いていかれたものは、そのまま残り続ける。
人は、
忘れてしまうこともできず、
すべてを抱えたまま進むこともできない。
だからどこかに預ける。
少しだけ切り離したかたちで。
“End”は、出来事として訪れるものではない。
ただ、人が
「ここで区切ろう」と決めた、その瞬間にだけ、立ち上がる。
その切断を、そっと受け入れられたなら、
それがきっと、
Happy endなんだ。
題 ハッピーエンド