どうして、実際に傷害や暴行が起きているのに、
それが“いじめ”という曖昧な言葉に回収され、
刑事事件として即座に扱われないのか。
どうして、被害が発生している事実よりも、
学校内の空気・立場・大人の都合が優先されるのか。
どうして、被害者や目撃者が“通報する”という
本来まっとうな選択肢を、最初から与えられていないのか。
どうして、子どもは
「自分が何をされたのか」「それがどの罪に当たるのか」を教えられないまま我慢を強いられるのか。
どうして、記録を積み重ねて守るという
正当な自己防衛が“面倒な行為”“空気を乱す行為”として
忌避されるのか。
どうして、当事者の被害よりも、
学校や大人が責任を問われない構図を守ることが
優先されてしまうのか。
どうして、道徳は
「やめよう」という理想論だけを語り、
「被害を認識し、身を守り、通報する権利」を
教えないのか。
どうして、人権より校則が前に出てくるのか。
どうして、大人は
“うまく回らない何か”を理由に、
まだ試されてもいない選択肢を
最初から潰してしまうのか。
どうして、この社会は、
被害が起きた事実よりも、
大人が面倒を見なくて済む仕組みを守ることを
優先してしまうのか。
どうして、「守られるべき人」が、
自分を守るための知識と手段を
最初から与えられていないのか。
子どもがスマホを持つ時代に、
通報が電話前提のままなのは、
技術の遅れではなく、
責任から逃げたい側の都合だ。
ワンタップで出来るはずなのに出来るように未だになっていない。
「被害者がいる」
「今起きている」
「人数」 を選択式で送信
GPS自動添付(任意)
動画・音声の即時アップロード
匿名/仮名での一次通報
通報ログを自動で時系列保存
全部、既存技術。
新発明は一つもいらない。
こんな機能は更新すべき時期を、とっくに過ぎている。
今ある“子供のSOSを受け取ります”系の相談窓口を、子ども専用の準通報機関として再配置し、公式記録をとればいい。
準通報機関と、警察と学校、スクールカウンセラーで連携し「記録と選択肢」を最優先にする。一定件数、一定の重さ、連続性があれば、自動で次の機関にエスカレーションすればいい。記録を残し、安全な話し合いも、介入も、すべてその後で判断すれば、話し合いで解決しようとした子どもが再被害にあったときに戻れる場所にもなれる。
いたずら電話は今もある。虚偽申告、誇張、勘違い、感情的な訴えも、すでに山ほどある。いたずらかどうかはログを見れば一発でわかる。いたずらが混じることより、本物が沈むことの方が圧倒的に重い。
「お前が傷つけている相手は弱いから標的になっているんじゃない。
お前が、自分の弱さから目を逸らすために選んでいるだけだ。
でもな、それを やめてもお前は消えない。
誰かを壊さなくても、お前は立っていられる。
お前がやっているのは、暴行罪、傷害罪、器物損壊罪、
窃盗罪、脅迫罪、強要罪、恐喝罪、侮辱罪、名誉毀損罪、強制わいせつ罪だ。
ひとを踏みにじって得た居場所は、いつかお前自身を殺す。」そう、早いうちに警告してやることのどこが大袈裟なのか。
クラスメイトが見て見ぬふりをしているのではなくて、
大人が見て見ぬふりをしているから子どもも見て見ぬふりをせざるを得ないだけではないのか。
どうして、大人になるまで放置するのか。
どうして、取返しがつかなくなるまで放置するのか。
私たちは、“この人が悪い”と考えるシンプルな物語として、ドラマの中でいじめを描き、社会制度や構造ような複雑で因果関係を理解するのが難しいことを脇に置き、
“単純なストーリーに落とし込む方が心理的に楽になる”という訓練を娯楽という形でしてしまっているのではないか。
題 どうして
同じ時間、同じ場所。
でも、気づきや感覚の層をほんの少し増やすだけで
現実の奥行きは深くなる。
景色や物事を、通り過ぎさせずに楽しむ。
自分が面白いと思うものに、少しだけ注意を向ける。
それだけで、ルーティンは静かに立体を帯びる。
初心者は、手元に触れるものを意識的に変えてみる。
上級者となると、大概のことは面白がれる。
小さな工夫が、日常に色を差す。
世界の扱い方を見直せば、
現実をより濃く、立体的に感じられる。
題 夢を見てたい
僕等は、夜に憧れる地点にいる。
この広い世界で、ふたりきり。
意味も、目的も、評価も、要らない。
ただ、互いの呼吸を確かめている。
耳をあてれば、
六億回目に鳴る命。
ずっと、成長しなければいいのにね。
けれど、
それほど幼くもない。
題 ずっとこのまま
昨日と同じ姿勢で立っているのに、
今日の入口が認識されない。
扉は、閉められた音さえ立てなかった。
さっきまで灯っていたはずの明かりが、
文字になる前に消える。
声をかける前提で伸ばした指は、
空気の中に取り残され、
行き場を失ったまま冷えていく。
教室では変わらず声が流れているのに、
私だけが更新されない。
外の風は強くない。
雪も降っていない。
それなのに、
教室の温度から一人分ずらされて、
平気なふりをする子どもみたいに、
黙っているしかなかった。
いくつかの季節と記録を挟んで、
扉がふいに開いた。
チャイムの鳴り方は変わらない。
けれど、机の落書きはすべて消えていて、
知っている癖の言葉はどこにもない。
私が戻るより先に、
教室は次の学年を迎えていて、
そこで交わされる言葉は、どれも低俗で、
合わせること自体が、空回りだった。
もう会えないと分かったあいつらの不在が、
遅れて、身に沁みていく。
題 寒さが身に染みて
N/C.世界と自分は溶け合っている。
0歳.快と不快が、世界の全て。
1歳.泣き、笑い、指を伸ばす。
2歳.「いや」で確認せずとも適応した。
3歳.自分の内側の言葉にならない“声”が内面を作る。
4歳.期待通りであることで、安心が続くことを覚える。
5歳.「子どもらしく」あることが安全になる。
6歳.気づいたら、自分を他者の視点で見る事ができるようになっていた。
7歳.耐えることが能力として内面化される。
8歳.「どうしてオトナはこうなんだろう」と思う。
9歳.誰と深く関わるかを選ぼうとし始める。
10歳.自分を調整する感覚が日常になり、それが自分の性格だと思い始める。
11歳.自分のことは秘密になり、侵入を防ごうとする。
12歳.理由のない不安、苛立ちが増える。
13歳.緊張感と無力感を行き来する。
14歳.他者は自分とは違っていて、うちゅう人に見える。
15歳.世界や大人を批評し始め、自分の未熟さに苦しむ。
16歳.何を選び、どんな責任を背負っていくか考える。
17歳.誰かを求めながら、ひとりで抱える。
18歳.前へ進むしかない転び方をする。
19歳.逃げ場を失う。
20歳.それでも、未完成だと知る。
題 20歳