最近、鬱陶しいことがある。
「よ!元気か?あの人も」
「まぁ、な」
「最近は季節の変わり目だから、心配でさ。なんかか弱そうだろ」
「そう弱い人じゃない」
会いたい。あの人に会いたいんだ。
昨日会ったばかりだ、昨日会ったばかりなんだ…
「会いたい…」
今朝から、いや、違う、会いたい。あの人に。昨日家に帰った時、彼奴の家の玄関の扉から離れて、現実世界に戻った時から。昨日の俺は涙が止まらなかった。
「う…うぅ…」
今朝、ようやく涙が乾いて、彼奴の顔を見る。愛されて喜びを感じている目だ。あの人に…愛を感じている。あの…あの人から愛を貰ったんだな。寝る前も寝る時も起きた時も…
自分の中の醜い感情がドロドロと彼奴を包み込んでいる。くそ、憎たらしいな。
「おはよう」
「おはよう!」
クソ、クソ、クソ!
「頼んどいたからな、今晩にはお前の家にいる」
すっと心の中の醜い感情が消えるのを感じた。あの人が居るのか?あの人が?喜びを胸に何とか抑え込む。しかし、我慢は難しいらしい。あの人の事を考えると欲という欲が抑えられない。
男子トイレにて、多目的トイレに向かった。
「あは、は…」
うぁ、あ…
あの人の優しい愛に包まれたら、どこまで幸せなんだろう。計り知れたところでは無いんだが…汚い喘ぎもあの方なら許してくれるんだ。俺はそれを知っているから。
俺は知っている。分かる。
「綺麗な人…美しい人…」
まだ治まらない。
大急ぎで家に帰り、そこに居たのは知らない者だった。憤慨し、その女を追い出すことにしたが、その女はまぁ美しかった。
「おかえりなさい」
その呟きに全て攫われてしまった。怒りも何もかもが消えてしまった。あぁ、許そう。ただいま。
「遅かったですね」
「ああ」
「会いたかったです」
ぎゅっと抱き締めてくる女に驚いた。この女は美しいから態々俺を選ぶ理由がない気がする。声も何もかもが美しい。
「俺も」
嬉しい、と微笑む女をキツく抱き締めて、尚且つキスもした。女は微笑んで受け入れ、離すまいと俺を抱き締めている。こちらも離すまいと抱き締めている。
ああ、愛を感じる。
ふふ、と微笑む女を膝に座らせ、此方に向かっている。胸に顔を埋めても、女は文句ひとつ言わず、寧ろ優しく抱き締めてきた。再びキスをして、何度もこれを繰り返した。当然、気分が高揚してくる。
柔らかな胸も、綺麗な唇も、一生お目にかかることも、触れることさえ叶わないだろう。
しかし、これは俺の望むものでは無い。
俺は立ち上がり、台所へ立った。
女を刺した。
まだ温かい女は何故だと問うている。
「お前は違う」
もう一度刺した。
彼奴は俺に、適当なものを押し付けてきた。俺はあの人以外許さない。
「待っています」
「百年経つまでに…帰って来てください」
「百合の花を愛でてください」
俺はその女を裏庭に埋め、愛しいあの人を想った。
ちら、と目を開けると眠気が私を抱き締めている。
あの日から、随分と気が楽になった。傷元でじゅくじゅくと膿んでいた膿を取り除いた様な気持ちで、かなり気が楽で。しがみついていたものを全て忘れてみると、かなり気が楽だ。
休日に出勤しなくていい、休日にやるべきことをやらなくていい。だってやるべきことがそもそも無いのだから。
太陽があんなに輝かしく見えるのは何時ぶりだろうか。誰かの膝に優しく寝かして貰えるのは初めてだと思える。
嗚呼、素晴らしきかな、あの人。
無償の愛をくれるあの人の愛に答えるために、愛を貰うために、愛を求めている。その美しい姿と愛は今、自分だけが独占している。
………?
何故って、そりゃあきみ、求めたからである。
堕落していると言うなれば、少しだけならあの人の膝に寝かしてやってもいい。すぐきみもあの人の虜になってしまうさ。あの人の愛は底なしだ。働いている時も、何をしている時だって、あの人の愛を求めてやまないんだ。
きっとこれは運命だ。きみもあの人の愛を頂く権利があるのだろう。本来なら独占したいところだが、あの人の前で醜態は晒すまい。あの人は、きみも自分も愛してくれる。
もしかすると、きみを、きみだけを愛してくれる、聖母のような人をあの人が紹介してくださるかもしれない。
いいのかって、構わない。あの人の愛によって自分は余裕ができた。素晴らしいこの愛を、私は得た。
…あぁ、暫くしたらすぐ退いてくれ。その人はあくまで私の愛なんだ。奪おうとするならばきみがどうなろうと私の知ったことでは無い。
………。
どうだい?夢心地だろう。ひどく愛がこもった表情で微笑んでもらえて、ひどく愛がこもった口に褒めてもらえて、ひどく愛がこもった腕に抱きしめてもらえて、ひどく愛がこもった手で撫でてもらえて、ひどく愛がこもった声で愛を囁いてもらえて、望めばあの美しい唇に接吻も給われたんだ。
そうだ、きみも愛に飢えているな。あの人に頼んで、愛をくれる人を探すといい。きっとすぐ見つかるさ。そろそろ起き上がってくれ。愛しいあの人は私のものだ、そろそろ膝から退くといい。
………。
愛しい人、ようやく君の膝の上に戻ってこれた。はあ…なんて美しい。君の傍で眠りたい、君の傍で目を覚ましたい。君の微笑みは私の為だけにあればいいよ。明日が嫌だ。きみと離れなければならないから。私を考えていて。私の姿を覚えていてくれ。片時も忘れることは許されないんだ。
常に私を膝の上に乗せていてくれ。君の真実の愛は私の元にある。私が愛するのは君で、君が愛するのは私だ。どんな時も君は私を愛さなければいけない。愛しい君は私へ愛を囁くんだ。さっきの奴への愛は嘘っぱちだね。分かるよ。
何故って、それは君が愛しているのは私で、私が愛しているのは君だからだ。愛しい人、君の手を煩わせて申し訳ないがさっきの彼奴…彼奴にも、丁度良い奴を紹介してやってくれないか?勿論私の二の次で構わないから。
やめてくれ、やめてくれ。撫でる手を止めないでくれ、君の手に愛がこもっていないと私は生きていけないんだ。君がいないと私の存在意義はなくなる!君というものを失えば私はどうして生きろと言うんだ!なんて酷い!
………。
あぁ、良かった。君の柔らかな愛のなんと愛しいことか…
あぁ、済まなかった。他の者の話をした私が悪かった。抱き締めるよ、撫でようか、抱き締めようか、接吻しようか、愛を囁こうか、何でもしよう。
愛しい君、他のものなんて愛でないでくれ。私は君がいればそれでいい。ほら、私に顔を見せてくれ。接吻をして、共に眠ろう。私達はずっと傍にいるんだ。
ほら、愛を囁いてくれ。
私だけだと言ってくれ。
君だけだと言うから。
「ご安心ください、命に別状はありません」
分かっている。私の父と妹は交通事故でついさっき怪我をしたらしい。幸いな事に命は無事で、後遺症は残らないかすり傷ばかりらしい。
どんな車に轢かれたのか聞くと、それはどうやらかなり激しい運転をしていた車らしい。
普段は穏やかな人柄で、親友がいるらしく、今は親友の人が傍にいる。偶然、近くにいたから不安で、なんとか警察に頼み込んで着いて来たらしい。
しかし、彼は身内でも無いのにどうして態々着いてきたのか。いるだけで大した意味もないように見える。
「申し訳ありません」
「何故、激しい運転を?」
できるだけ、平静を、冷静を保っているように見えるように振舞った。どうしていいか分からないし、もう大人なんだから。
彼は今、松葉杖があってようやく歩けるような骨折患者に見える。親友に背中を摩られながら、ようやく息をしているような声で息を吸い込んで、喋ろうとしている。
「…父が、倒れたって妹から連絡が来て…気が動転しました」
嗚呼、成程、家族を大切にしている人だ。急いで病院に行きたいんだろう。
どうして彼を責めればいいか分からない。責める必要があるのかも分からない。
ただ、目の前の彼は非常に寂しく、悲しい存在に思える。このまま私が彼に何もしなければ、彼はこれから先どうなるんだろう。
「修理代さえ頂ければ、実際かすり傷だらけで…」
私は彼を責めるつもりにならなかった。
ただ、彼を忘れることはこの先ないだろう。
わたしの…話だと思う。わたしは、とっても優しい。
困っている人がいたら大丈夫かなって思って、心配する。困っている人がいたら助ける。話は黙って聞くし、うん、とか、そうなんだ、凄いですね、とか、愛想を振りまくし、心の底からそう思っていると見えるように振る舞う。
にこにこーって笑う時には、あははって。真面目な生徒みたいに。子供みたいな可愛い笑顔は忘れずにするんだよ。
好成績は取っちゃダメだよ。努力をしているという姿勢を見せることが教師に愛されるコツだからね。好成績を取っていいのはテストでだけ。80点ぐらいを取るか、70点代を取るのが理想的だよ。
でもね、子供っぽく振る舞うのは凄く大変だよ。周りに迷惑をかける、このさじ加減がとっても大切なんだよ。大きな迷惑をかけてはダメ。1日5回まで、小さなうっかりをかけるんだ。あと、素直にごめんなさいって言ってから、本当にすみません、とか。同じ人に5回はダメ。迷惑をかける人も選ぼう。見下されることが大事なんだよ。見下されて嫌だけど、それを表に出したら終わりだよ。駄目だよ。昇進したい?認められたい?凄いって思われたい?
………。
馬鹿なの?駄目だよそんなの。きみもわたしもどうせ失敗するんだから、その失敗を許して貰えるように賢く子供っぽく振る舞うんだよ。昇進したいなら…うん。人に嫌われていい、メンタルを持てばいいと思う。でも、そんなメンタルはきみにある?持ってるのかな?あるのかな?確認してみて。
………。
確認できた?
分からないでしょ?
だから、駄目。
きみにそんな実力も運もないよ。運があるならこれを読んでいない。わたしも運がないから、きみが傷つかないようにこうやって、書いてる。
そして、きみに読んでもらっている。きみはひとりじゃないよ。大丈夫。
わたしはきみが好き。井の中の蛙、ってやつなのか。でも今、わたしは顔も名前も分からないきみに、深い愛を感じる。好きだよ。
きみがこの文を読んでいるってことはね、つまりそういうことなの。今に甘んじて…っていうと、嫌にしか思えないと思うけど。甘んじるって、楽じゃない?
承認欲求で自分を縛るのは、やめにしよう?
大丈夫。毎日出勤して、学校に行って、子供っぽく、振舞っていたらきみはいつの間にか幸せを掴む。掴んでいる。そして、周りの苦しい、苦しいって嘆く人達を、楽で幸せなところで見ていられる。
楽で幸せなところって何?って?それは、朝起きて、仕事をして、程々に働いたら、勉強したら、家に帰って、やれといわれたことを終わらせる。
上に行かなければ、やれと言われることが多くなる、多くなる。つまり、嫌になる。
ダメなやつ、子供っぽいやつ、という烙印を押されると、こいつに任せたら駄目だって思われるから、大変なことが減っていく。
大丈夫だよ。それでもきみは愛されるから。どこかの誰かから。
好きだよ、きみ。諦めると、諦めたこと以上のいい事が君を包み込む。
何を拘ってるの?何が良くてそこまで拘るの?
………。
大丈夫。好きだよ、きみのこと。
ほら、やること終わった?ぐうたら、私の愛を受け取って。言うことはわかる?バカ正直に、子供みたいに
「ありがとう!嬉しい」
だよ。それで万事解決。
私はきみが好きだし、きみもそれに喜ぶ。それに喜んだフリをする。
諦めたら、何故か涙が流れる。
大丈夫、心配しないで。これは、悪いことじゃない。
大丈夫、大丈夫。
好きだよ、きみのこと。