頭を下げて、足を上げてみてごらん。
いつも見えている当たり前が、いつもとは違う新しいものになる。
見ているものは同じなのに
どうしてこんなにも変わるんだろう。
毎日頑張って頭に詰め込んだ情報が
コップの水みたいに全て流れてしまうような感覚。
情報過多のこの時代には、時にはリセットも必要なんじゃないかな。
さあ一息ついたら頭を戻して
また一歩一歩地道にいきていきますか
僕もなんとかやっていきます
お願いだから泣かないでほしい。
目の前で泣かれたって、どうしたらいいか分からないんだ。
そりゃ、慰めるなり話を聞くなりするのが正しいことはわかってる。
でも、周りの人はすぐに駆け寄って、あなたの心に寄り添っているのに対して、自分は一歩離れて見ている。
物理的な距離は変わらなくても、心が寄り添えない。
私って薄情者かな。
なんて声をかけるのが正解なのか、
頭を撫でてやるのが正解なのか、
分からない。
心配はもちろんしてるし、何かしてあげたいとは思う。
でも、相手はそれを求めてるのか、どうなのか。
大切な人がつらそうにしてても、私はきっと見守っているだけで、何もしないのかもしれない。
そんな自分が嫌で、でも他の人みたいにできなくて、
他の人みたいに動いたら、まるで演じているみたいで、
気持ちが悪い。
私が私じゃない。
私がたいして声をかけていないことに周りは気づいたのかな。
陰口言われたらどうしよう。
事実だからなにも言えない。
だれか、同じ人いませんか?
いつも悩んでる。
今日も泣いてる友達になにもしてやれなかった。
ねえ、このお題って誰が決めてるのかな。
運営さんではあると思うんだけど。
なんで【ココロオドル】にしたと思う?
ただの【心踊る】ではないの。
カタカナでわざわざ。
もしかしてだけど
もしかしてだけど
今日は【ココロオドル】を聞きたい気分だったのかな。
それとも、既にたくさん聞いて、気分ウキウキだった?
それとも、ガンダム見たのかなー。
ねぇ、私も聞きたくなっちゃった。
もしかして、あなたも?
聞いちゃおうか。
楽しい気分になっちゃお。
ショーウィンドウに飾られた赤いヒールの靴を見ると、いつもあの童話を思い出す。
一度履いたら、ずっと踊り続けることを強要されるあのお話。
足を木こりに切ってもらうまで、どれだけ体が疲れていても足はタップダンスを続けるのだ。
あの話は一体、なにを私たちに伝えたかったのか、おぼろげにしか覚えていない私には全く検討もつかない。
玄関の戸棚に仕舞われているヒールは、元彼が誕生日にくれたものだ。
恋に溺れ、彼をちゃんと見れていなかったのだろうか。
自分の理想を見てしまっていたのだろうか。
後悔はあるとも知れず。
恋を愛をどこかに探して、その夢を醒まさないでくれたらよかったのに。
ずっと、ずっと踊れていたなら
私は幸せだったのかしら
はかない恋だった。
きっと良くないことを言っているのでしょう、
でも言わせてください
あなたも踊りませんか?
時を告げるものと言えば「鐘」であろう。
我らの精神の中に気付かぬ間に植え付けられた「鐘」の音で、切り替える、という習慣。
学校での授業の終始を告げる鐘。
年末年始を告げる鐘。
毎日午前と午後の六時を告げる寺の鐘。
気付かないだけで他にもきっとある。
少し耳を澄まして聴き慣れてしまったその「鐘」の音を今一度心に刻んでみてはいかが?