friends
お題がfriendsなんですが思い出したので関係ない話します。
父が存命で元気だった頃、田舎に墓参りに帰って、急な小さい坂から墓のあるところに入る道があって、その急な坂を車で降りたら坂をズルズル滑り落ち出して、父に「おいお前降りて車を押してくれ」って言われまして。
無理ですよ、いやあの時は死ぬかと思ったけどなんかなんとなく皆無事でした。
君が紡ぐ歌
彼奴はよく歌っていた。詩っていたのかもしれない。
殊更人に聞かせようという殊勝な気持ちがあるという感じでもなく、何か、過去の歌を、それも自分の世代よりもずっと古い古歌を、懐かしむようにして口遊んでいたから、それは何か過去と今を繋ぐ架け橋のようなものに見えた。
古いものが無くなることの悲しさと愛おしさ。
愛おしむという行為そのもののように、古い歌を口遊んでいた。
未来よりも過去に親和性のある男だった。
過去の、まだ広い地球、未知の空間、豪放磊落な余裕のある人々、優雅さや美しさがまだシステムや金に汚されてない時代についての歌を歌っていた。
俺にとって彼は古い地球儀のような存在だった。
彼の歌を聴けば古の地球がどんなにゆとりあるものだったか知る事ができた。
この歌を、未来に遺したいと思った。
光と霧の狭間で
どうでもいい話なんですけど母若かりし頃に父と母の実家に車で帰った所、崖というか峠ですね、峠の切り立ったところでにわかに濃霧が立ち込め、ゼロ視界でゆっくりと手探り状態でカーブを進んだそうで…いや何事もなくて良かったです。
砂時計音しましたっけ?
消えた星図
地図の通りに歩く人間だ、俺は。
MAPを見て理解して計画を練り、そこへ行くための交通手段と天気をチェックして…
同じようにアイツに「星を見に行こう」と言われた時もまず星図と星の本を買って一夜漬けで星のあれこれを頭に詰め込んだ。
所が、当の本人は星座の何たるかも知らず、知る気もなく、寝袋と弁当とスープだけ用意してこの山に来ている。
毛布すら用意してなかったが寝袋や毛布や天体観測に必要な道具はおれが持ってきた。
「「星を見に行こう」って言ったのお前だろ」
「まあそうだ、今見てるじゃん」
「星を見るって言葉通りのアレなのか?点々をそのまま見るだけのアレか?」
頭を抱えたが、実際、調べた俺も星の配置にときめいたりはしなくて--
ただ星を一心に見つめているお前を見つめていたのだ。
地図の通りに歩く男だおれは。
でも星は見つめるだけで良いので星図はもう要らない。