しののめ

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9/10/2024, 12:18:42 PM

【喪失感】

 いつも仕事帰りに寄る、行きつけのバーカウンターに先客がいた。
 先客は日本人離れした顔立ちで、薄い金色の少しウェーブのかかった男だった。歳は三十歳以上であるだろう雰囲気で、雑誌から飛び出して来たのではないかという程、端正な見た目をしている。ラフに着ているシャツも、彼が着ると、どこかのブランドかと思わせる。世の中見た目が全てをこれほどまでに憎んだことはない。

 私はスーツの襟を緩めながら男の一つ隣に座った。一人掛け分の距離越しに男が、貴方も常連かい?と私に話しかける。

 「雰囲気が慣れてそうだから、つい決めつけてしまったけど」

 男の言うように、私もこのバーには何度も通っているのでそう、と肯定する。ここ落ち着くよね、カクテルも良いもの作ってくれるし、と男は自分の持っているグラスを少し傾ける。紺とピンクのグラデーションが綺麗なカクテルである。綺麗だな、と思わず私が呟くと、でしょう、と男は微笑む。薄く口先をあげるだけでも絵になるのは狡い。私はいつも頼むカクテルをカウンターへ注文をし、男に話しかけた。

 「君のことを、どこかで見たことがある気がするんだが……気のせいだろうか」
 「それ、ここのバーに来る人大体に言われる。雑誌モデルをやってるんだ」
 「へぇ。どうりで」

 顔が整っている訳だ。とは言わなかったが、内心で呟いておく。ここのバーに置ける「それ」は口説くも同然だからだ。波長やタイミングなどがあるのでおいそれと言うことは私の理に反する。


 俺、もう暫くここには来ないつもりで来たんだ、と男はカクテルを眺めながら、うっとりと呟く。

 「自分の身近に射止めたい人、見つけたから。だからここは今日で最後」

 貴方も素敵な出会いがありますように、と男は私に向かって柔らかい微笑みを向けた。

 生で見るそれは、ファンにとっては天に昇る程の幸福だろうが、今の私にとってはいきなり後ろから突き落とされるような心地だった。これは推測だが、男の手にしているカクテルは「射止めたい人」のイメージなのだろう。愛おしそうに見つめる視線が熱っぽいのは、決して気のせいではない。

 私はありがとう、と、実る前に終わった一目惚れと決別し、カウンターにうんとアルコールの効いたカクテルを追加注文した。

9/9/2024, 1:34:22 PM

【世界に一つだけ】

 あなたもわたしも
 違う種を持っていて
 あなただけの華を
 咲かせよう みたいな
 
 有名な歌はあるけれど

 躍起に華を咲かせなくても
 いいのではないだろうか

 だって 種の時点で
 世界で二つとないのだから

 咲けない華があっても良い
 咲かない華があっても良い
 いつか咲く 花があっても
 良いだろう

 失わないように 腐らないように
 育てていければ良い

9/8/2024, 1:37:46 PM

【胸の鼓動】

 抽選戦争を勝ち抜き
 念願のチケットを手に入れた
 
 いつも画面越しに見ている貴方が
 数メートル先の壇上に立っている

 あの人も生きている
 あの人は生きている
 あの人が生きている

 ペンライトを握る手が震える
 心臓の鼓動がうるさい

 息をするのを忘れてしまうくらい
 貴方を見つめる

 歌声も セリフも ダンスも
 衣装も 舞台も 
 全部 ぜんぶ 眩しくて
 愛おしい

 

9/7/2024, 5:55:51 AM

【時を告げる】

 雀が鳴く
 学校のチャイムが鳴る
 街のサイレンが鳴る

 こうして一日が流れる

 壁にかかる振り子時計
 右に揺れる
 左に揺れる
 ひたすら揺れる

 やがて鐘が鳴る

 こうして時間を流す

9/5/2024, 11:50:06 AM

【貝殻】

 手の内の白い巻き貝
 巻き貝の入り口に
 耳を当ててみる

 こうすると
 波の音がするよ と
 誰かに言われた記憶

 もちろん
 そんなことはなく
 
 閉じた空気の音がして
 
 耳の横を 海の匂いが
 ほんのりと かすめた

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