この手を離さないで。
二度と離れないで。
【ささやかな約束】
「あ」
一瞬の出来事だった。
シンクの中で、音を立てて無残に割れたコーヒーカップ。
スポンジを持った相棒の手と、布巾を持った俺の手とが、同時に止まる。
「……割れた」
「割れたな」
脊髄反射のおうむ返しをする。
特別気に入って使っていたわけではないが、多少の情はある代物だった。割れた姿がどことなく寂しげに見える。
「…ごめん」
「別に…」
「片付けるわ」
「いい、俺がやる」
「じゃあ新しいの買ってくる」
「は?カップならまだあるし全然代わりきく…」
「オレの気が済まねえんだよ」
そう言って、相棒はさっさと出掛けていった。
ああなったらアイツは止まらない。仕方ないのでカップを片付けつつ帰りを待った。
しばらくして、相棒が戻ってきた。
しかし、その手に持っていたのは。
「お前これ……………ティーカップじゃねえか」
「形似てたから買ってきたんだけど……もしかして違ったか?」
「お前今まで何を見てきたんだよ、俺が欲しかったのはコーヒーカップだ、これじゃない」
「あ、…………………」
ごめん、と、聞こえるか聞こえないかくらいの声で漏らす相棒。
その顔は今にも泣きそうで。
「わりい……言い過ぎた」
「いや、全部オレのせいだから…」
「……」
「…………」
「…たまには、紅茶もいいか」
「え」
相棒の手からティーカップの入った箱をさらう。
いいやり方ではない自覚はあったが、慰めるのも照れくさくて。
どんな形でも、俺の「赦し」が相棒に伝わるならそれでよかった。
それから、ティーカップをもう一つとティーバッグを選びに行って、紅茶をいれて、二人で飲んで。
湯気がたつカップを両手で包みながら、相棒がやっと笑みをこぼした。
その笑顔が妙にかわいらしくて。
自分の心も温まっていくのを感じながら、紅茶を一口すすった。
【ティーカップ】
無性に会いたくなって、深夜にアイツの家を訪ねた。
アイツの顔を見たら、涙がこぼれてしまって。
そんなオレを、アイツはただ抱き締めてくれた。
アイツの隣が心地よくて、
一生帰りたくなかったから、
自分の家売ろっかな、なんてこぼしたら、迷惑そうな顔をされた。
【寂しくて】
オレの相棒は、気づくとどこかに行っている。
隣にいると思っていたのに、少し目を離しただけで姿が消えていた、なんてことが何度もある。
まるで見えない羽根があるみたいだ。
背中に生えた希薄な存在を静かに羽ばたかせて、気配だけを残して、軽々と遠くに飛んでいって、
それで、
オレが届かないところまで、
待って。
嫌だ、
行かないで、
待っ
「…どうした、?」
「え」
気づけば、相棒の手を握っていた。
「…」
ちゃんと隣に、いる。
「……どこにも、行かないよな?」
思わず呟いた。
「は…」
「絶対オレんとこに戻ってくるよな?」
「………」
「な…?」
相棒は戸惑った顔をしていたが、やがて目を伏せ、呟いた。
「……ま、お前の頼みならな」
「…………ほんとに?」
「なんで今嘘つく必要があるんだよ」
「…じゃ、約束」
そう言って小指を差し出すと、相棒は柔らかく微笑み、そっと指を絡めてきた。
大きくて透明な羽根に包まれたみたいに、空気がぬくもった。
【透明な羽根】
こたつ、毛布、コート、手袋、マフラー。
冬を乗り越えるため、今年もいろんなものを引っ張り出す。
うーん、でも何か足りない。
これよりもずっと、ずーっとあったかいものが、あるはず。
ぼんやり思いながら、さっき出したばかりのこたつ布団に潜っていると、アイツが隣にもそもそと入ってきて、あまつさえ俺に抱きついてきた。
あ、これだ。
【冬支度】