《胸の鼓動》
「胸の鼓動…?
感じたことないけど…みんなあるの?」
心理テスト中に1人がそう言った。
「え?ww生きてないじゃんww」
「大丈夫??w」
みんなが笑っている中でその子はまだきょとんとしていた。
「ねーねー!胸触らせて!胸の鼓動あるか調べてあげるー!」
一人がそう言って手を伸ばすとその子は怯えた様子で逃げ出した。
「ちぇ、逃げることないじゃんか」
「もぅ可哀想でしょ?今度謝りなね?」
「はぁい」
次の日から、彼は来なくなった。転校したらしい。
先生のお話で初めて知ったが、
可愛らしいあの子は男だったらしい。
《鏡》
【世界で一番美しい女王がいた】
鏡よ、鏡。
世界で一番美しい者は誰?
「アリサです」
嘘を仰い。この世界で一番美しいのは私に決まっているでしょう…?信じられないわ。
「いいえ、アリサが一番美しい」
もういいわ私が一番なんだから…
あなた達、アリサという女を殺して来て?
アリサは死んだ。
鏡よ、鏡。
世界で一番美しい者は誰?
「ヨルです」
…
ヨルを殺せ
女王様は繰り返した
聞いては殺し、聞いては殺し
女王はもう美しくない。
鏡は、とうに限界を迎えている
「貴方が一番美しい」
そうとだけ言って鏡が割れた。
"鏡"は覗いた人の心、考えがそのまま表れる
初めから自分の美しさを信じていたら、
鏡のことなんて信じなければ、
未来は変わったのかもしれない。
《誰かのためになるのならば》
『友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛は無い』 ヨハネによる福音書15:13
ミッションスクールに通っている僕にとっては耳馴染み深い言葉だ。キリスト教に興味が無い人も知っているぐらい有名だし。
幼稚園、小学校の頃なんかは、「凄いなぁ」ぐらいにしか思っていなかった。
ただ今の僕が聞いたら可笑しいとしか思えない。
愛だの恋だのが大っ嫌いだからか分からないけれど、自分の命より相手の命を優先する意味が分からない。
聖書の中にある「友」という言葉。
これはこの世界の全ての人を指している。
つまり、どんな殺人鬼も、惨い政治家も「友」になる。
そんなくっだらない人間の命を自分の命と引き換えに助けろなんて冗談じゃない。
(内容少し違う気がする…題名見て思い浮かんだのがこれだったんです…)
《友情》
友情なんて成立しない。
どちらかが一方的に相手を「友達」だと思い、もう一方がそれに何となく合われてるだけ。
そんな表面上の友情ばっかりだ。
どうせ、用無しになったら捨てられる。
そう思うのはひねくれてるんだろうな。
捨ててきたのは全部自分だもんねww
現実もネットみたいにアカウント消せたらいいのに
裏垢もいっぱい作ろう。
人あたりの良い自分だけを写す垢も。
今まで迷惑かけっぱの人たちに言いたい、ごめんねこんなんで
《私の名前》
SNSなどで沢山つけるインターネット上の名前、いわゆるニックネーム。
名前にはその人の性格が表れると何度も言われた。
じゃあ
無数に付けるニックネームには?
特に理由もなく付けた食べ物や動物の名前には、意味があるんですか?
ネット上で繋がるためにしか使わないような名前を大切に使ってる人なんていないでしょ?
みんな親不孝者だね
あ、親 自分か。じゃあ自分も大切にできないってことか。
そんな人ばっかだから、平和にならないんじゃないの?