「ゆずの香り」
柚子の香りって、子供の頃はそんなに好きじゃなかった。
たまに銭湯に行くと柚子湯の日とかがあって、浴室内に柚子の香りが漂ってて。
香りは好きじゃないんだけど、子供だからネットに入って浮かんでる柚子が何だか面白くて、捏ねくりまわしてた思い出がある。
でも、大人になると柚子の香りが好きになった。
何なら味も好きになって、柚子味噌とか、〇〇の柚子風味とかは今はもう大好物。
柚子に限らず、味覚も嗅覚も、子供の頃とは変わってきて、嫌いだった物が好きになったり、逆に好きだった物がちょっと嫌になったりする。
人もそう。
苦手だった人が、実は不器用なだけのいい人だって気づいて好きになったり。逆に好きだと思ってた人が、表面だけ良い裏表のある人だとわかって嫌いになったり。
大人になる事で、初めて見える世界や表情があるけど、それは大人にならないとわからないから。
だから、自分が子供の頃は言われてもピンと来なくて、反発したりもしたけど。
今になったら色々わかる事も出てきて、ちゃんと話聞けば良かったな、って思う事もある。
でも、そうやって失敗をしてきたからこそ気づけた事なんだと思うし、そうやって成長出来たのかな?って思う。
きっと、今の自分の色んな事も、何年、何十年先には「もう、あの頃の私ってばホントに!!」って、赤面物な事が山程あると思う。
でも、逆に言えばそうなれるよう、今の自分よりは成長していたいと思う。
今の私が、見えない·聞こえない·気づかない事に気づける自分に、なっていたい。
「大空」
あの大空の様に、広い心でいられたなら。
そうしたら、今でも貴方と一緒に過ごせて居たのだろうか?
全てを飲み込んで、受入れて、許して。
貴方と離れる事と比べたら、許す事位、大した事じゃなかったのかもしれない。
でも、それじゃ、私が私でなくなる。
ちっぽけだけど、私の矜持が。
私が私で居続ける為には。
許すべきじゃなかったし、到底受け入れられなかった。
後悔する瞬間も、ゼロじゃない。
1人泣く日も、まだある。
でも、私が私に嘘をついて、自分を誤魔化す位なら。
自分の信念や考え方を曲げる位なら。
私は心が狭くても、自分でいたい。
「ベルの音」
鳴り響く非常ベル。
でも、皆訓練か誤作動か悪戯だと思って、慌てる人はいない。
平和ボケしてるからなのか、現実を受け入れたくない気持がそうさせるのか。
理由はわからないけど、見事な位緊張感ない。
でも、これは訓練じゃない。
きっと、火が出てる事を、私は知ってる。
あの男は言った。
「お前が居ないと、俺はどうすればいいんだ?お前が居ないと、俺は生きて行けない。」
いつも、私に依存する男だった。
そのクセして、全てを私のせいにして、私が勝手に罪悪感を抱く様に仕向けてた。
こんな男に、いい様に操られてた、騙されてた自分が馬鹿らしいし、恥ずかしい。
やっと目が覚めて、その事に気づいた。
だから、縁をぶった切った。
そしたら、あのセリフ。
もう、心の底からどうでも良かった。
兎に角、目の前から消えて欲しかった。
「好きにすれば?もう私に関係ないし。」
あの男は、持っていたタバコを落として。
薄汚れたスニーカーの上に落ちて、うっすら煙が出てた。
それも無視して、その場を立ち去った。
呆然としてるあの男は、気づかないかもしれない。
火が、出るかもしれない。
未必の故意。
そして、その結果、鳴り響くベル。
周囲の喧騒がざわめきに変わり、やがて阿鼻叫喚に変わる。
他の人を巻き込みたい訳じゃなかった。
ただあの男に視界から消えて欲しかっただけなのに。
どこまでバカな、自分勝手な男なんだろう。
私は、どこまで愚かなんだろう。
あの男に植え付けられた罪悪感からは解放されたけど、今度は自分の行動が起こした事の罪で、身動き出来なくなった私がいる。
「寂しさ」
昨日まで聞こえていた、声が聞こえない。
昨日まで目に映っていた、姿が見えない。
昨日まで感じられていた、息遣いも感じられない。
生まれてからずっと、ううん、生まれる前からずっと、私の味方で居てくれた。
道を外しかけた時も、私を信じてくれた。
いつも私に、言葉だけでなく、仕草や行動で、「正しい」事や、「大切な」事を、教えてくれてた。
時には叱ってくれて、時には甘やかしてくれて。
海の様な、太陽の様な、人だった。
もし、生まれ変わっても、又この人の子供に生まれたいと思ったよ。
そして、時間が過ぎて。
いつの日か母は年を取り、私は大人になり。
世話をする方とされる方が、徐々に入れ替わっていき。
それでも、ずっと母は私の心の支えだった。
何があっても、無条件で私の味方で居てくれる、そう信じられる存在だった。
母の居た昨日まで。母の居ない今日から。
何かが足りない感じが、消えない。空虚感が、消えない。
寂しい……哀しい……愛しい……
「冬は一緒に」
君と一緒の帰り道。
君はマフラーに手袋で、完全装備。
それでも、「寒~い。手冷たい。」って、
僕は、君と手を繋ぐチャンスを待ちながら、心臓がバクバクで、心なしか顔も火照ってる。
学年が変わって、君と同じクラスになって、春·夏·秋と、君と過ごしてきた。
春はクラスメイト、夏ちょっと仲の良いクラスメイト、秋は友達以上恋人未満になれたかな?
冬はどうなるんだろう?このままかな?昇格出来るのかな?
他愛もない話をしながら、僕の頭の中はそんな事ばかり。
ふと沈黙が訪れて。
君も少し俯いて。
僕は、思い切って君と手を繋いだ。
「手袋の上からでも、少しでも暖かいだろ?」
恥ずかしくて君の顔なんか見れなくて、逆の方を見て。
恥ずかしくて甘い言葉なんか囁けなくて、ぶっきらぼうにしか言えなかった。
「アリガト……冬も一緒に過ごそうね。」
ビックリして、嬉しくて、君を見たら。
僕と同じ様に、明後日の方向を見ながら言ってた。
耳、真っ赤で、可愛い。
「だね。よろしく」僕の精一杯の、返事。
気の利いたセリフが言えない僕。
でも、心を込めて君の手を強く握った。