Open App
11/29/2024, 12:42:19 PM

「冬のはじまり」


段々寒くなって、冬を感じるようになる。

シャツ1枚では辛くなって、上着を羽織るようになった。
息が、白くなった。
水仕事が、辛くなってきた。
雪国だから、車のタイヤ交換もしなきゃいけない。
年末も近いし、少しずつ大掃除もしなきゃだけど、天気が悪いからなかなか捗らない。

生活のそこかしこで冬を感じてる。

でも、一番は。

冬毛のネコを抱きしめて、暖をとるようになる事。
でも、ネコも肉球は毛がないから冷たいんだよね。
それで、その肉球を人に押し付けて、自分は暖まるんだけど、こっちは冷たくて「ひゃ~っ」てなる。
誰もいない時は、合掌するように手合わせてるし。
しかも、寒いのにヘソ天で、薄目開けて白目むいてたから、母は慌ててた。
でも、それも又いつもの冬。

誰かに掛けてもらったかのように、凄く上手に掛け布団掛けて寝てる姿とか、点いてないストーブの前で丸まってる姿とか。
いつものツンデレも、ちょっと寒さには負けてしまうみたいで、やたら増えるスリスリが堪らない。

もう、愛しくて、可愛くて。
しみじみ、幸せと冬を同時に感じてる。

11/28/2024, 11:51:29 AM

「終らせないで」


貴方との終りが近づいてるのがわかる。

約束が、少なくなった。
約束しても、ドタキャンになる事が増えた。
視線が、合わなくなった。
最後に見つめ合ったのは、一体いつの事?

会話が、続かなくなった。
そもそも、会話が少なくなった。
笑顔が、少なくなった。
そして、眉間の皺が増えた。

終わりたくない。
終わらせたくない。
このまま、貴方と過ごしていたい。

でも、もう駄目なんだね。
このまま続けても、きっと哀しい事が増えるだけで。
惨めな自分を見る時間が、ただ伸びるだけ。

自分なりに、精一杯頑張った。
でも、無理だった。

だから、せめて。
貴方からは終らせないで。
私が、私の責任において、私の意思で終わらせるから。

ちゃんと、「今まで有難う」って、笑って言える自分でいる内に、終わらせるから。
最後に、貴方の前で号泣して、貴方を困らせないで済む内に、終わらせるから。
貴方が、「終わって良かった」とだけ思うような、ほんの少しも寂しさを感じない程になる前に、ちゃんと終わらせるから。

だから、もう少しだけ。
私の覚悟が決まるまで、もう少しだけ。
待っていて、ください。

11/27/2024, 11:04:47 AM

「愛情」


本当の愛情って何だろう。

相手と一緒に居る為なら、お互いになりふり構わずに、精一杯努力する事?
相手の為に、場合によってはお互いが悲しくても身を引く事?
相手の決断を尊重して、不幸になりそうな決断でも支持する事?
相手の幸せの為に、耳が痛い事でもキチンと言う事?
自分を犠牲にして相手に尽くす事?
相手の満足の為に尽力する事?

諦められる程度の気持ちなのか。
自分を犠牲にしないといけないのか。
相手の幸せと相手の気持ちとが相反した場合は、どちらがより大事なのか。
そもそも幸せ、満足、充実、成功等はイコールじゃない時もある。

多分、正解は分からない。
だから、全てが正解だと思う。

その決断を後悔する日が来るかもしれない。
毎日、血の涙を流すかもしれない。
過去に囚われて、前にも後ろにも進めなくなるかもしれない。

でも。それでも。
その時の自分が、精一杯考えて、それで出した答えなら。
それが、その時の自分の、目一杯の愛情だから。

それが、正解だと、愛情だと。そう思う。

11/26/2024, 1:51:28 PM

「微熱」


いつからか、ずっと微熱が続いてる。
何だか頭がボーッとするし、目眩とか頭痛もある。
でも、日常生活に困る程ではないから、何となく放置してる。

で、この前友人と久々に会って。
昔は友人との会話って言ったら、仕事の愚痴やら、将来の夢やら、流行りもの話やら、ファッションやら。勿論メインは恋バナだった。
でも、気が付いたら最近は。
健康の事とか子供の事、何なら親の介護の事とか。
まぁ〜会話に色気がない!!

年と共に興味も移るし、生活の中心も変わる。だから当然会話の中身も変わる。
しみじみと歳とったな〜って感じるけど、でも、今の人生に、今の自分に後悔はないから、それはそれでいいと思える。
その時々を一生懸命生きてきたから、当然その時々で変わるよね?って思える。

体調は明らかに若い時より悪くなったけど、でも今の自分が好きだから、毎日をこのまま生きて、又何十年か経った時に、過去を振り返って懐かしみたい。

そして、そう言う自分でいられる様に、頑張っていきたい。

11/25/2024, 12:18:15 PM

「太陽の下で」


最近ネットやらニュースやらで、親の経済力による体験の格差が取り沙汰されてる。

確かに一理あるんだけど、何だか納得が行かない。

音楽とか、ある種のスポーツとか、ディズニーとか、海外旅行とかはどうしてもお金がかかるから、経済力は必要だと思う。
でも、お金以外の理由でそれらを経験しない家もある。
単純にディズニーに興味無いとか、人混み嫌とか、待つの嫌いとか。
音楽やスポーツに興味がない、嫌いだから、しないとか。
飛行機嫌いだから、車とか電車で国内旅行はするけど海外旅行には行かないとか。

ざっと思いつくだけでこれだけのお金以外のしない·出来ない理由があるから、きっと私が思いつかない理由なんて、もっと沢山あると思う。
だから、単純に経験の有無を経済力の格差として扱うのはどうかと思う。

確かに、経済的な理由でこれらの経験が出来ない事実はある。
でも、親の経済力で語りたいなら、したいけど経済的な理由で出来なかった家と、単にしたくないからしなかった家を区別して、その上で経済的とか資産で比較すればいいと思う。

逆に、お金がかからない太陽の下での遊びや経験。
それは、親の気持ちの余裕と時間と体力や健康が大いに関係してくると思う。
公園での遊び、水遊び、雪遊び、花火、キャンプ、ハイキング、登山、アスレチック、ボランティア。
屋内でいえば、無料の展覧会やイベントも沢山ある。
お金をかけずに遊んだり経験したりする方法はいくらでもある。
むしろ、簡単にお金で買える経験よりも、かけがえのない経験かもしれない、って思う。

ただ、それらはお金があっても時間がないと難しい。
お金と時間があっても、気持の余裕があって、健康でないと行こうと思えない。
その気持の余裕やら時間やら健康も含めての経済力なのかもしれないけど、単純に経済力だけで語られると違和感しかない。

Next