子供の頃、家に古い三面鏡があった。
合せ鏡をすると、右も左も延々と自分が映っていて、それが不思議で、ずっと見ていた。
全部の私が私を見ている。
右を見ても、左を見ても。
ずっと、ずっと。
······あれ?あの子だけ私を見てない······
部屋の中に物が溢れてる。
いつか使うかも。
何かに使えるかも。
又流行るかも。
以前の趣味の物。
人から貰った、趣味に合わない物。
読み終わった本。
可愛いと思ったキャラクターグッズ。
沢山のぬいぐるみ。
卒業式に貰った第二ボタン。
捨てられない物がどんどん溜まっていく。
心の中にも、物が溢れてる。
小さい頃の思い出。
発表会。
人を傷つけてしまった事。
人に傷つけられた事。
嬉しかった事。
悲しかった事。
楽しかった事。
辛かった事。
人を裏切った事。
人に裏切られた事。
何一捨てられず、どんどん、どんどん溜まっていく。
いつか、捨てられるのかな。
過去を振り返らず、前だけ見て思い切りよく捨てられるのかな。
過去は過去、と割り切れる日が来るのかな。
跡形もなく、全てを処分できるのかな。
そんな日が来たら、一歩踏み出せる。
新しい私になって、全てやり直せる。
動かなくなった貴方の体を、キチンと処分出来たら······
ずっと自分に自信がなかった。
だから、がむしゃらに頑張って、とにかく人よりも頑張って。
皆が「あの子には敵わない」、そう思える自分になりたくて。
休まずに走ってきた。休む事が不安だった。
休んでいる間に誰かに抜かれる、と思っていた。
だから休めなかった。走り続けるしかなかった。
何年も走り続けて、ある日気付いた。「今の私なら大丈夫。」
自分が頑張った結果で周囲にも認められ、満足だった。社会的にも、経済的にも、人望も。全てにおいて今の自分になれた事が、そこまで頑張れた自分が、誇りだつた。
でも、今になってわかった。
目の前で、あなたが走る、転ぶ、泣く、微笑う。
小さい体を精一杯使って「ママ」って呼んでくれる。
頑張る私も頑張らない私も、全てを受け入れて必要としてくれてる。
ねぇ、知ってる?
あなたが生まれた日から、あなたの全てが私の誇りになったんだよ。
人って、生きてる、それだけで誰かの誇りになれる事もあるんだよ。
有難う。生まれてきてくれて。
真っ暗な海。わずかな月と星の光だけ。人工的な灯りがないと、人ってこんなに見えない物なんだね。
あなたと二人、他には誰もいない。
幸せだ、と思う。幸せを、噛みしめる。
第一印象は最悪だった。ひたすらヘラヘラしてて「何コイツ、頭悪そう」って思った。
でも、それはあなたの人の良さだった。裏表なく、人に忖度する事もなく。人の裏を読む事もなく。
ただひたすら、あなたは「良い人」だった。
だから、一緒にいて楽。私も飾らず、気を遣わず、ありのままでいられる。
どんどんあなたに惹かれた。ホントに人を好きになるって、こんな気持なんだ、と解った。結婚願望のない私が、生まれて初めて結婚も悪くないかも、と思えた。
あれから色んな事があったよね。沢山の場所に行ったよね。全部が思い出。
人が良いだけに、馬鹿な女に騙されて、私と別れようとした事もあったね。
忖度出来ないとか、裏表がないとか······ホントはただ気が付かないだけの、周りが見えていない、ホントに頭が悪い人だと気付いてしまった事とか。
でも、全部過去の事。それも又思い出。
だつて、それでも、それでも。好きだから。
ずっと一緒にいたい。二人だけでずっと。
誰にも邪魔されず、二人だけの世界で。
今からはもう二人だけだよ。この暗さが全ての痕跡を隠してくれるから。
自転車に乗って、坂道を下る。目の前の海に吸い込まれそうな感覚。もっと速く、もっと、もっと。
カーブは少しスピード落として。潮の匂いと波の音。
もっと速く、もっと、もっと。
目の端を流れていく景色。自然の音も人の声も。全て一瞬で過去の事になって流れて行く。
後ろへ、後ろへ。
もっと速く、もっと、もっと。
嫌な事も全て流れて行く。流してしまう。流してしまいたい。
昨日起こった嫌な事。忘れられない過去の傷。心に刺さった小さな棘。自分の嫌な部分。
全部、何もかも流れて行って欲しい。
もっと速く、もっと、もっと。
もっと速く、もっと、もっと。
もっと、もっと······
そして、ホントに全てが過去になった。もう、私に、ミライハナイ······