8月31日、午後5時
8月の終わり、午後5時。
まだまだ気温は高い。
けれど、風には明らかに秋の気配を感じる。
小6息子と夕飯の買い物にでかける。
「あ、お母さんさんまだ!」
立派なさんまが鮮魚コーナーに並んでいた。
ツヤツヤの肌。ピシッとした黒目。
悩んだけれど、今日はハンバーグの予定だったので次回のお楽しみにすることにした。
「次行くときは、さんま買おうね」
息子と約束を交わし、少し日が落ち出した道をゆっくり帰る。
6年生だけど、まだまだ幼い息子。
いつかは一緒に歩けなくなる道。
買い物にも、いつまでついてきてくれるのかな。
歌を歌いながら歩く彼の隣で、なんだかセンチメンタルな気持ちになりながら歩いた、8月31日の午後5時。
心の中の風景は
心の中の風景はいつも同じ場所。
視界の4分の3は青空で、地球は丸いとよくわかる。
どこまでも続く森は、私の目の端っこを突き抜けて、追いきれないとこまで続いていく。
夏になればサトウキビ。こっそり折ってかじっては吐き出し、甘い汁だけ吸われてる。
道には彼らの節々が、点々点々つらなっている。
食べきれないほどのサトウキビ畑。
こんなにも鮮明に思い出すのに、今はビル群のど真ん中。空は探すもんなのだと大人になって知ったこと。
ある日、電車からみた夕焼けがあまりに美しいので降りた瞬間猛ダッシュ。
ビルの隙間を写真撮影。
じわんじわんと心の温度がいい温度。
これがまた、心の中の風景になっていくのかもしれない。
夏草
夏になると通学路の草は私の背を越えるほど伸びて、視界を塞ぐほどだった。
ちょっと腕が当たると血がにじむ。
そんな草もたくさんあった。
子供たちの中では包丁葉っぱと呼んでいた。
夏が終わるころ、地域のおじさん達がこぞって草刈りに励む。私の父もビーバーを持ってグイングインと刈っていた。奉仕作業だ。
誰かのお父さんに会うと声をかけられ手を振るけど、なんとなく恥ずかしいと思っていた。
学校からの帰り道の、刈られた草たちの匂いが大好きだった。
生をとめられたのだけど、根本まで抜かれたわけではなくてまだまだ生きてるよと言っているようなあの青青い匂い。
胸いっぱいに吸い込むと、体の隅から隅まで青い匂いになっている気がしてよくわからないけどドキドキした。
あれは夏草の断末魔なのか?
それでも私には、はんってそりかえってる草たちの姿がなんとなく想像できた。
あれは私の中で明らかに生の匂いだった。刈られても刈られてもまたすぐに視界を塞ぐ。
生きてる匂い。
だからこっちもドキドキしちゃうんだね
あの青臭い、青い匂い。大好きな夏の匂い。
思い出すだけで胸がうずうずする。
ここにある
どんな本を読んでも、読むたびに違うことを思う。
その一瞬は自分がすごくできる人になった気がするけれど、次の日には昨日と同じ自分。
いるのかいらないのか分からない知識を詰め込んで、あれをしてみよう、こうしたらいいのかとこれからの人生をあれこれあれこれ考えるけど、すぐに消えていく。
シャボン玉の方がもっと高く飛べるかも。
当たり前じゃないか。
ずっと考えてるだけだもの。
昨日と違うわけがないじゃないか。
自己満足の世界にいるだけだもの。
ほら、答えはここにあるじゃないか。
後は行動するだけだって。
分かっているんだ。
外は猛暑。その中をガーっと走ってみたら少しはスッキリするだろうか。
その勢いでなんでもやったらできるんじゃないかとまた午後下がりの妄想。
素足のままで
ライブのステージで歌う時は必ず素足になる。
冬でも野外でも関係ない。
なんなら子供とカラオケ行っても、素足になる。
これは10代で歌を始めてからずっとだ。
素足になると床や土の感覚がひんやりと心地よい。
歌は身体全体を使う。
そうすると地に足がついて、指にも力が入り踏ん張れる。地面の下の方からエネルギーをもらえる気がする。
たまに素足仲間に会うと、妙に親近感がわく。
おっ。あなたもですかと、それだけで仲間意識が芽生える。
元々人間だって裸足で歩いていたのだから、ごく普通のことだ。
さすがに日常生活は素足では歩けないけど、できるものなら基本は裸足でいたい。
どこか海の近くに住んでいたら、いつもビーサンで、すぐ脱げるのになぁと先日海に行った時に思った。
でも、貝殻と見間違えてキラキラ光るガラスを拾ったとき、あ、靴履いててよかったと靴のありがたみを感じた。
この先も、歌うときのスタイルは変わらないだろうから、足元は事前によく見ないとね。
素足カラオケ、おすすめです。