遠くの空へ
10年後の空は、今日とそんなに変わらずにあるだろう。
10年後の自分はどうなっているだろうか
子供たちは大人になり、夏休みのお昼ご飯には悩まなくなっているだろう
自分の時間がないことに苛立ったりするどころか、時間がありすぎて困っているかもしれない
静かな家で寂しいと思っているのかもしれない
掃除も洗濯も当たり前のことは毎日こなし、仕事もしているだろう
歌は続けているだろうか
周りにはどんな人がいるだろうか
笑っているだろうか
苦しんでいるだろうか
遠くの空へ そこにいる私へ
あなたが笑っていられるよう、今の私は少し頑張らないといけないね。
あなたが笑っているということは、今の私の積み重ねが間違っていないということだから。
遠くの空へ それを見上げる私が幸せであるように。
今の私は、毎日を生き切ろう。
!マークじゃ足りない感情
かき氷を食べた時のキーン
突然背中にカナブンがとまった時
ドアを開けたらそこに人が立ってた時
ラッシュ時の新宿駅に降り立った時
リングの貞子の顔が画面アップになった時
感情ではないかもしれないが、!さえも出てこない瞬間
君が見た景色
朝の散歩の途中、車にひかれたトカゲがいた。
思わず手を合わせる。
君は走るのがとても早いのに、間に合わなかったんだね。
身体の向きから、草むらの方に走っていたのかな。
その先の光景は君の目にはどう映っていたのだろう。
虫をおいかけていた?
たまたま通りかかった?
朝の日向ぼっこをしていた?
君が見ていた景色がどんなものだったのか、私にはわからない。
でも、最後に見た景色が車のタイヤじゃなければいいな。
真夏の青空の下、勝手なお願いと祈りをつぶやいた。
言葉にならないもの
ずんずん歩くと、耳のそばを風が抜ける。
どの音か、どんな言葉かわからないけど優しいと思う。風と対話できるわけではないけど、私は日本語で風に話す。
鳥の声を聴くと、とりあえず真似してみる。
自分の音感ではとれない音、ドレミファソラシドではない彼らの言葉。
真似してみたらたまに返してくれるけど、それでも私の日本語では通じない。
換気扇の音。聴いていると心地いい。
言葉ではないけれど、誰か歌っているように聴こえて合わせて歌ってみる。
ここに私の日本語を合わせると、すごく不自然になる。
この世界では、実は言葉を話す事の方が不自然で、言葉にならないものでできていると思うんだな。
音、色、そんなふうに勝手に名前をつけてはみたけど、そこに言葉を当てはめると、とたんに違うものになってしまう。
言葉は美しい。でも、人が勝手に作ったものだから、全てを言葉で表そうなんて、どだい無理な話なんだ。
このお題のおかげて、妙に言葉について考えた夜。
プクプクプク。
海の中は静かだ。
シュノーケルで息をする低音が、体の芯まで響いてくる。
普段は気づかない、自分の息づかい。
私ってこんなふうに息をしてるんだな。
「あ、魚だ」
目の前をゆっくりと、大きな魚が泳いでいく。
シュノーケルをつけているけど、つい叫んで後ろを泳ぐ子供たちに知らせる。
声は出ていないはずなのに振動が伝わるのか子供たちも魚に気づいた!
「ぼこご、ぼこご」
「ぼこ。ぼこご」
会話にはなっていないけど、お互いに何が言いたいのか少しわかる。不思議な空間。
話すのをやめると、また静けさが戻る。
心臓がどくんどくんと音を立てている。
魚たちはこっちをちらっとは見るけど、気にせずゆっくりと目の前を通りすぎていく。
「あんたたち、そんなもんつけて大変ね」
と言われた気がした。
確かに君たちからしたら、こっけいでしょうね!
プクプクと笑いがもれる。
顔を上げると、にこにこの顔。
真夏の思い出。
来年もまた、泳ぎにこようね!