どこへでも行ける気がしたんだけどな。
自転車に乗れるようになった少年は、結局は遠くへは行けなかった。
他人は怖い。信用出来ない。
ただ、両親が付き添ってくれる時だけ、彼は自転車に乗って出かけた。
「いつか、あなたにも他人の音楽を聴きたくなる時が来るかもしれない」
「いつか、おまえにも哲学を話したくなる相手が出来るかもしれない」
母と父は、穏やかに笑う。いつも、ふたりは優しくて、少年は、こんな日々がいつまでも続けばいいのにと思った。
俺がいらなくなったんだと思った。
おまえは、俺との思い出を消して、健康になったから。
ずっと、おまえの精神を蝕んでいたもの。行方不明になった両親のこと。戦争。兵士。そして、俺への恋心。
なあ、俺のこと忘れていても、おまえのことが好きだって言ったら、どうする?
紫煙を燻らせ、おまえの煙草の香りを思い出す。
ボイスレコーダーから流れる君の声が、あんまりに美しくて。オレは、驚いた。
知らない会話。記憶にないやり取り。
何故、オレと君が、こんな話をしているのか? さっぱり分からないけど、とても大切なことだったような気がして、立ち竦んだ。
夏の青空と、麦わら帽子に、白いワンピースの少女。よくある夏の風景。
夏の陽炎。ただの幻想。
あの女、結局は、オレと同じ存在。
ただ、アイス片手に夏空の下を歩くオレたちが、一体どういう風に見えるのかなんて、くだらないことを考えている。
あの女が、おまえの隣にいたら、恋人同士に見えてたのかな?
列車が終点に着いた。だから、おまえとはここでお別れ。
「さよなら」
「待てよ!」
「オレは、ここまでだから。でも、おまえは、必ず次の駅に行ける」
降りようとするオレの服の袖を掴む指を、優しく取り払う。
「どうか、元気で」
「待ってくれ…………」
そんな辛そうにするな。おまえは、オレがいなくても大丈夫なんだから。
「また会えるよ」
オレは、初めておまえに嘘をついた。