約2年母の介護をした。
一昨年85で息を引き取った。
今思うと介護の辛さは母が生きている時ではなく、亡くなった後だと思う。
何かにつけて母と過ごした日々を思い出し、またあーすれば良かった、あんな事を言わなければ良かったと後悔も止むことがない。
これは生きている限り今後数十年続くのであろう。
介護をしていなければ、このような辛さは無かったのかも知れない。
科学的に証明できないこと、論理的に説明できないことを人は畏れ、敬い神の御業としたが、その神を創造したのは誰かということも証明、説明できないので、その考えは自己矛盾を来す。
よって神の存在を信じることはできない。
しかし、心の安定のためにすがる物が人には必要だし、道徳的なことを広め、徹底するために宗教が必要という考え方は理解できる。
アニメ チ。の中での議論を見て思ったことを綴ってみただけ。
彼女は、中国の貧しい農村に生まれた。多くの子供達が中学や高校を中退する中、勉強が好きだったことが幸いし、上海の大学に進み、その後、北京の大学院に進んだ。学生時代から付き合っていた青年と結婚するも、直後に彼の浮気が発覚。彼女は許すつもりだったが、彼の心はもう別の女性に向かっており、彼女は傷心のうちにやむなく離婚。そんな辛い時にたまたま北京に赴任した私に一目惚れし、精一杯のアプローチ。赴任直後に25歳も歳の離れた女性からのアプローチに、ハニートラップ?やけになってお金目当てに走った?はたまた頭がおかしくなった?などと心配したが、それは全くの杞憂であった。深く強い愛情を常に捧げてくれ、もう8年近くの長い付き合いとなった。この冬も彼女と一緒に新年を迎える。
私の彼女は、時々「人生の意味、生きる意味が分からない」と言い、元気がなくなってしまう。
その度に私は、「人生に意味は無いし、生きることにも意味は無い」と言う。
人間も動物も微生物も自然の不思議な力で生まれ子孫を残し死ぬだけ。そこに意味は無い。
ただ、人間はそこに意味を持たせることができる。つまり、意味を持たせられるか否かは自分次第だ。
こんな当たり前のことに何度も思い悩むのは彼女がまだ若いからだろう。
このような会話をするたびに歳の差(25歳)を痛感させられる。
人類の歴史は争いの歴史だ。グループを作り争うことは本能によるものなので無くなることは無い。争いが全く無かったらどうなっていただろうか。科学技術の発展が遅れたことは間違い無いだろうがそれ以外には特に問題は思いつかない。人口爆発の大幅な加速による食糧危機や環境破壊も考えられるが、平和で豊かな環境では人口が増えない事は先進国における少子化問題が証明している。従ってやはり人類は争いを少しでも減らすべきである。ではどうやって減らすかだが、争いの多くは宗教対立である事から、先ずは宗教の根絶が考えられる。しかしこれを為したとしても、宗教以外でのグループ対立が新たに起こるので意味がないだろう。いや、本当にそうだろうか。日本や中国などでは争いが少ない。これは宗教対立が少ないことが主因ではないだろうか。また宗教があったとしても昔の中東ではユダヤ教徒とイスラム教徒が平和な共存社会を作っていたし、それ以外でも異なる宗教、異なる民族が平和な社会を作っていた例は少なくないだろう。では、グループ間の対立が起こる原因は何かを考えると競争に勝つため、個人の金銭欲、名誉欲、征服欲を満たすためであろう。これらの欲も人間の本質的な欲のため無くすことはできない。従って、やはり争いとそれによる犠牲を無くすことはおろか減らすこともできないだろう。つくずく人間とは愚かな生き物だと感じさせられるが、これもまた自然が作り出した仕組みなので甘んじて受容れるしかない。