生きる為に働いてるのに。
命を削りながら生きてるよね、私達。
わたし、あの日からもうどこか壊れてしまったから。
まだ電池はあるのに止まってしまう、ぽん、と叩けばまたゆっくり動き出す、接続不良のおもちゃみたい。
もう戻ることはないものを欲しがったりはしない。
ただ、これならいっそのことプツンと完全に途切れてしまったほうが楽なのにと思うのは、いけないことなんだろうか。
自分を奮い立たせて何とか、今を、命を繋いでいく。
それがいつまでもつんだろう。
叩いても動かなくなってしまったおもちゃはもう要らないの。
動くことに意味があるの。
私の所にピンポイントで隕石が降ってくればいいのに
あのトラックが曲がりきれずに私にぶつかってきたらいいのに
流行病で亡くなるのは私だったらよかったのに
あそこで巻き込まれて亡くなるのも私だったらよかった
手の施しようもなく死ぬしかないのも、私だったら、
自分で幕を下ろす事もできないまま、誰か、何かに手を下される場面を、ぼんやりと反芻し続けている。
死にたいなんて考えもせず、生きたいと願っている人が命を落として、あの人の代わりに死ねたらよかった、なんて死を願っている私が生きてるなんて、不条理だな、と思う。
死はいずれ平等に訪れるけれど。
私みたいなのが、結局生き残り続けてしまうんだろうな。
自分の終わりを夢見ながら。
きっと明日も、その先も。
「もし、」なんて口にする時点で、その確率は低いのよ。
あまい言葉を並べながら私の髪を撫でるこの手は、明日別の誰かに触れるんでしょう。知ってる。
耳をすり抜けていく言葉に温度なんて伴わないのに、触れる肌から伝うのは確かな温もりで、それに縋りたくなってしまうなんて、何らかのバグとしか思えない。
抱き寄せられて感じる温度は、代替が利くでしょう。
なのになんで、
名前を呼ばれる。目が合う。ふっと笑んだ唇に、食まれる。
この人がいい、と、思ってしまう。
思考が正常に機能してくれない。
ほんとうに、どうしようもない。
嬉しいときに一緒に喜べること
悲しいときに一緒に泣けること
笑顔を見れるのが嬉しいこと
離れていてもいつも思っていること
連絡や会いたいに理由がいらないこと
助けて、と言えること
いつでも飛んでいけること
いつでも頼ってほしいと言えること
幸せを願うこと
ただただ健やかであってほしいと祈ること
そんなふうに、お互いを想えること
それが嬉しくてたまらないこと