私の所にピンポイントで隕石が降ってくればいいのに
あのトラックが曲がりきれずに私にぶつかってきたらいいのに
流行病で亡くなるのは私だったらよかったのに
あそこで巻き込まれて亡くなるのも私だったらよかった
手の施しようもなく死ぬしかないのも、私だったら、
自分で幕を下ろす事もできないまま、誰か、何かに手を下される場面を、ぼんやりと反芻し続けている。
死にたいなんて考えもせず、生きたいと願っている人が命を落として、あの人の代わりに死ねたらよかった、なんて死を願っている私が生きてるなんて、不条理だな、と思う。
死はいずれ平等に訪れるけれど。
私みたいなのが、結局生き残り続けてしまうんだろうな。
自分の終わりを夢見ながら。
きっと明日も、その先も。
「もし、」なんて口にする時点で、その確率は低いのよ。
あまい言葉を並べながら私の髪を撫でるこの手は、明日別の誰かに触れるんでしょう。知ってる。
耳をすり抜けていく言葉に温度なんて伴わないのに、触れる肌から伝うのは確かな温もりで、それに縋りたくなってしまうなんて、何らかのバグとしか思えない。
抱き寄せられて感じる温度は、代替が利くでしょう。
なのになんで、
名前を呼ばれる。目が合う。ふっと笑んだ唇に、食まれる。
この人がいい、と、思ってしまう。
思考が正常に機能してくれない。
ほんとうに、どうしようもない。
嬉しいときに一緒に喜べること
悲しいときに一緒に泣けること
笑顔を見れるのが嬉しいこと
離れていてもいつも思っていること
連絡や会いたいに理由がいらないこと
助けて、と言えること
いつでも飛んでいけること
いつでも頼ってほしいと言えること
幸せを願うこと
ただただ健やかであってほしいと祈ること
そんなふうに、お互いを想えること
それが嬉しくてたまらないこと
もしもタイムマシンがあったなら?
あの頃の絶望しきってた私に教えてあげたい。
「今はこの苦しさに終わりなんかなくて永遠に続くように思えるかもしれないけど、だいぶ楽に生きられるようになる日がくるよ。だから大丈夫だよ」って。
誰の言葉も届かなかったあの頃の私にも、自分の言葉なら届くかもしれない。少しは安心させてあげられるかもしれない。
だけど、もしかしたら。
その私に、あの頃の私は言うかもしれない。
「自分じゃ死ねないから、殺して?」って。
「私なら、わかるでしょ?」って。
痛いくらいにわかってしまうはずだ。
いつか終わるのだとしても、目の前の“今”がどうしようもなく辛くて。何年か先じゃない、“今”、逃れたいのだこの苦しさから。
取られた手を私は、振り解けるだろうか。
誰にもわかってもらえない、ひとりぼっちだと泣いていた私を、私は、置いて帰れるだろうか。
「人間、欲が無くなったらおしまいよ」
そう言われた言葉の意味が、じわじわと私を侵食していく。
諦めてしまえれば楽なのだと思っていたのに。
何かを得ようともがいて失望する事が無い代わりに、心が沸き立つような事も無くなった。彩りを失った私の世界は灰色になった。
生きてはいるけど、死んでいるようなもの。
平穏とは違う。平坦な道の上を、立ち止まることも後戻りすることも許されず歩き続けるしかない。いつくるかもわからない終着点が訪れるまで。まるで罰ゲームみたいだ。
欲しいもの?
なんにもない、なんにもいらない。でも…そうだな、そう聞かれた時に、真剣に、あるいは無邪気に、または冗談めいて。答えられるような私のままで、ありたかったな。