月に願いを聞いてもらったところで魔法みたいに叶うわけは無くて。でも、太陽に聞いてもらうよりかは叶いそうな気がして、そんなこと考えてるのが可笑しくなって来る。空を見上げてそこに見える星々を眺めて、星座とか星の名前とかへの興味なんて昔から更々なくて、なのに物思いに耽った時に見上げた空に月やキラキラ輝く星々があると見入ってしまう。あれは火星かな?いやでもあそこのも火星っぽいぞ。って小学生にバカにされそうな天体観測をしてみるのだ。こんな星々の知識の無い俺でも月の変化は流石にある程度は分かっている、はず。毎日少しずつ形を変えていって、何日かしたら全く違うデカさになるのだ。実際はデカさなんて変わってなんていないのだが、そう見えてしまうのだから仕方ない。俺の中での星のトップは勿論カッコイイ太陽だ。それは問答無用の強さを感じるからで適いようが無い圧倒的な覇者だと思うから俺の中で最強の座に君臨している。だが俺は、月に圧倒的な強さを感じないのに恐怖を感じる時がある。パッと見上げると一番輝いている星から段々周りの星々が見えてくる。月は一番光り輝いているというのに最初に視界に入ってこないのだ。それが俺には月が自分がトップであると疑っていないように見えて、他のを見ても結局俺が一番輝いていると再確認するだろ?月は俺にフッと笑ってくるのだ。そんな静かな圧が俺は怖くも好きだったりする。だから俺は月に願いをというよりかは、月に決意を表明することが基本的だ。願いをかける意味とか知らないから出来るのかもしれないけれどそんなの自由だし。明日も楽しい一日にしたいな!お月様見ててね!
降り止まない雨を見ると心が沈んだり、不思議と涙が出てくるという人が沢山いるけれど、私は雨を見るととってもワクワクしてくるのだ。外へ出て傘に当たる雨音を聞くのも好きだし、傘をたたんでビショビショになるのもまた楽しい。空き缶を並べてこの缶はこんな音がなるのかと知るのも良いものだ。シトシト降る雨は静かで、でも長く当たるとどんどん洋服の色が変わっていって、パラパラ降る雨は雨音が地面の種類によって違って、沢山の顔色を見せてくれる。ザーザー降る雨は周りの音を消し去って大きなライブ会場にいる気持ちになれる。他にも雨は沢山の降り方を私に見せてくれてそれぞれ違うワクワクを私に送り届けてくれる。だから私は雨が好きで雨が降るととてもワクワクするのだ。今日は雨が降るらしい。どんな雨かな。通り雨だと寂しいな。でもそれも良いな。ああ、早く雨降らないかな?私のワクワク早く降ってくれ!
あの頃の私への手紙を書こうと思い立ったは良いが、あの頃の私には何を言っても変わらない気がして何度も何度も書いては消してを繰り返す事になった。あの頃は真っ直ぐで、でもひねくれてて、見えるもの全てを疑ってそれで新しい気づきを得たり、何にも無く時間を無駄にしたと嘆いた時もあったり、何かに近付いた気がしてルンルンと帰宅したりもした。知らなかった事を知ってたと見栄を張ってそれで逆に恥をかいたり、喧嘩して謝り方なんて分かんなくてぶっきらぼうに謝って、それで余計に拗れて最後は泣きながら謝ったりして。理由なんて何も覚えてないけどその何かを避けて通ったら今の自分には絶対に辿り着かないように思えて、アドバイスなんて与えたら駄目な気がして、道が見えない状況が良かったなんて言うのはおかしいと言われるかもだけど、その霧を無闇に晴らしたらいけないと思ってしまって、筆が止まる。これからの未来にどんな事があってもアドバイスなんて来ないだろうし、来ても自分はそれに従う事なんて自分で分かってる、そんなの絶対しない。阿呆で馬鹿な人間らしい人間な自分でこれからも、もがいて行こうかな!
逃れられない事からは真っ向から勝負すると大概負けてしまう。逃れられないと思った時点で自分一人では突破するのが出来ない、難しい状態だから。だから出来るだけ避けて通るべき、なんなら事柄に少しかすった程度で背中向けて走るのもありかもしれない。それが出来る、する覚悟を持てる人が進む道をなだらかに出来る人なのだと思う。デコボコでもガタガタ道でも少し遠回りになっても良いと思える人になれれば人生少しは楽になるかもしれない。真っ向から勝負して大負けする人生も楽しいかもしれないけどね。ま、いっかと思える事が出来たらそんな事考えないのかもしれないけど、考えちゃったら止まらんもんね。しゃーないわ。人間複雑に作られてるみたいだから複雑に考えるもんよ。軌道修正が上手な人間であれば良いんだよ。それで良いの