人間の記憶というものはどこまで信頼できるものだろうか。
嫌な記憶ほどなかなか消えないものだが、楽しい記憶はあまり残っていなかったり。
歳をとるごとに大切であった思い出も薄れていったりもして。
できることなら楽しい思い出や暖かく心地よい思い出はずっと残っていてくれれば良いのにと思う。
そう言えば、音楽と記憶は結びつきが強いと聞いたことがあるが本当なのだろうか。
辛い時期に聴いていたあの音楽を聞くとほんのりと切ない気持ちになるのは、頭が古い記憶を呼び起こそうと刺激しているからなのかもしれない。
もし今後数十年生きて、私の記憶が曖昧になった時…幸せだった時期に聴いていた音楽を聴いて暖かな気持ちになれる日が来たら、かつての心地よさを感じながら幸せな気持ちに浸り、そのまま穏やかに眠りたい。
2025.3.25『記憶』
人の命というのものは重く儚いものだ。
そうだと言うのに暫く会っていなかった祖父母が亡くなった時、怖い程に感情が動かず涙も出なかった。私は薄情な人間だ。
しかし時折その姿を思い出すと、もっと話しておくべきだったとか、最後に顔を見せに行くべきだったと後悔の念が頭の中をぐるぐると巡ることがある。
失った命は戻らない。もう二度とその声を聞くことも笑顔を見ることも叶わないのだ。
その時できなかった後悔は強く心に残る。
それならば、今己の周りにいる大切な人との時間の重要さを改めて考えなくてはならない。
一緒にいられることを喜び、その存在に感謝して、この一瞬を大事にしよう。
もう二度と後悔しないように。
2025.3.24『もう二度と』
どんよりと空を厚い雲が覆う日。
不思議と気持ちが沈んだりなんとなく頭が重くなったりするような感覚がある。
雨が降るよりは良いが、晴れた日の澄んだ青い空に比べると少しばかり物足りない。
そう思うのは冬や春の間だけで、夏になれば曇りの日の方が過ごしすくて好きだったりして。
…うーむ、なんと自分勝手なことか。
曇りと聞くとどこか浮かない顔のことを示すこともあって、ついネガティブなイメージを受けがちだが曇りの日も悪いことばかりではないだろう。
曇りの日の後に晴れの日がやってくれば喜びは一入だし、曇っていたあの子の表情が晴れやかな笑顔に変わった時はこちらまで自然と笑顔になってしまうものだ。
・・・・・
そういえばここ最近で曇りの日はいつだったか。
意識していないと雨の日に比べて記憶に残っていないようだ。
次の曇りの日は、少し意識して空を見上げてみよう。
2025.3.23『曇り』
ここ最近は未来の見えない暗いニュースばかりで気が滅入る。
某スポーツに皆の目が釘付けになっている間に裏でとんでもないことを進めているのだから。
ここからいい方向に変わる日は来るのだろうか?
前を向きたい。
未来に希望を抱いて生きたい。
そう思うことすら難しい。なんと行き辛いのだろう。
叶うことなら奴等を全員追い出してしまいたい。
bye bye…二度と私の視界に入らないでくれ。
今日は少し悲観的になってしまって申し訳ない限り。
また気持ちを切り替えて思いのままを綴りにきます。
2025.3.22『bye bye…』
幼い頃、親と手を繋いで歩いた記憶が蘇る。
あれから随分と時が経って手を繋いで歩くことなど無くなった。
パートナーや己の子がいればきっと繋ぐ機会があったのかもしれないが、生憎私は未だに独り身だ。
人の手の温もりなど忘れてしまった。
今度あった時にでも親の手でも握ってみようか。
突然どうしたんだと気味悪がられるかもしれないが、あの時その温もりを感じておけば…と後悔するよりはいいだろう。
ああ、まずは身近にいるきょうだいに声をかけてみるのも悪くないかもしれない。
きっとあいつは気持ち悪いと騒ぎ立てるんだろうけどね。
そのまま一緒に歩こうなんて言わない。だから少しだけ手を繋いで。
同じ時代に生を受けて、奇跡的に縁で結ばれたあなたの温もりを覚えておきたいんだ。
2025.3.21『手を繋いで』