「始まりはいつも」
考えるなって言うんじゃないけど
考えすぎても疲れるだろ
気づいたら手が動いている
気づいたら歩み始めている
気づいたら笑っている
そういう気の緩みもたまには必要だ
始まる前に考えるんじゃなくて
始まってから考えればいいんだよ
「巡り会えたら」
夢のために真っ直ぐでは無いけれど進み続ける者
道半ばで断念しまた別の夢へと歩出そうとしている者
止まるという考えは両者共に無い
零時の方向に進みたいのに三時の方向に進んでも
止まることだけはありえない
ゆく道は違えど
ぶつかることがあるかもしれない
共に歩んできたものが引き返してしまうかもしれない
歩むうちに1人になるかもしれない
でも心配は要らない
必ず巡り会えるから
「踊るように」
僕の村には定期的に開催される祭りがある。
それは死者を弔うもので日本の葬式のようなものだ。
村の長老が無くなった。
誰よりも村のことを思う人だった。
長老には夢があった。
それは「自分が死んだ時、悲しみに涙をするのではなく
笑って見送って欲しい」というものだった。
長老は悲観的なことが嫌いだった。
知人が無くなったら悲しいものだ。
皆涙し、踊って弔う。
その日は長老の弔い日。
笑って送って欲しいという長老の願いにみなが答えた。
踊りながら村のみんなは
「長老、今までありがとう。」
「あの世でも幸せに!」
「村のことは私たちに任せろ!」
皆が長老への最後の言葉をかけていた。
皆、終始笑顔で楽しそうに
踊る彼らの目には涙が流れていた。
〜Ending〜
In,Gandhara,Gandhara
They say it was india
Gandhara,Gandhara
愛の村 ガンダーラ
「私の日記帳」
私はさゆり。
これは私が中学生の頃の話だ。
日記をつけるのが日課だった。
日記はその日に起こったことをまとめるもの。
だが、私がつけていた日記は
その日にこういうことが
起きたらいいなというものだった。
日記をつけ始め1年が経った頃だった。
使っていたノートがなくなってしまった。
私の学校には購買があり、ノートが売っていた。
そこで夢ノートと書いてあるノートがあった。
1番安くて大学ノートみたいだったので
これを買うことにした。
8月20日
今日は席替えがあった。
好きな人と隣になった。
楽しく話すことが出来た。
これは実際に起こったのではなく、
妄想の世界の話だ。
20日の内容は19日に書くことにしている。
つまり1日前に次の日怒って欲しいことを書くのだ。
しかしこの時は実際に席替えがあった。
隣の人はもちろん好きな人だ。
本当にかなったと嬉しくなった。
この時はまだ疑うことはなかった。
たまたま、奇跡的にそうなった程度に考えていた。
8月21日
今日は好きな人と帰ることが出来た。
お互いの趣味や住んでる方向が一緒だった。
好きな人と家が近いのは
誰しも一度は夢見たことがあるだろう。
しかし私の彼は家の方向が全くの逆。
趣味はスポーツ好きで似ていた。
学校で彼が驚くことを言った。
「僕、引っ越すことになって君の家の方に行くことになったんだ。今日一緒に帰ろうよ?」
私に断る理由なんてなかった。
それどころか2日連続で夢が叶ったから
味をしてるようになった。
8月22日
彼の家に遊びに行った。
勉強したり、テレビ見たり、お菓子作りしたりした。
やはり夢が叶う。
私が日記に書く夢は日に日にエスカレートしてきた。
8月25日
彼に告白された。
もちろん付き合うことが出来た。
彼にキスをしてもらった。
私は躊躇(ためら)いもなくそんなことを書いていく。
欲望のために彼を利用する自分に不安なんてなかった。
何でも夢が叶う。
それも毎日。
私は日に日におかしくなっている気がした。
彼と遊んだ日の夜の事だった。
私はノートに何も書いていない。
だが、明日の日付で何か書いてある。
私はそこに書いてある内容を見て絶句した。
9月27日
さゆり(私)は交通事故にあって
死亡した。とても痛かった。事故にあってから一二時間は苦しんだ。
血の気が引く思いがした。
誰が書いたかなんてどうでもよかった。
このノートに書いてあることは絶対。
それを知っていた。
外れたことがなかったから回避の仕方も分からない。
消して書き直そうともしたが、消しゴムでは消えない。
ペンで消しても、戻ってしまう。
私はノートを燃やすことにした。
確実に灰になったのをこの目で確認した。
しかし本が元に戻る所も見てしまった。
私は膝から崩れ落ちた。
「どうしようどうしようどうしよう、、、
このままじゃ死んじゃう。なにか無いか。そうだ、交通事故なら家から出なければいいんだ。」
私は安心した。
一人でいてもつまらないから彼に電話をした。
私「明日もうち来て遊ばない?」
彼「いや、うちで遊ぼうよ!たまには家おいでよ!」
私「行きたいんだけど明日は家から出る訳には行かなく
て、、、」
彼「何かあったの?」
私「ちょっとね、留守番頼まれちゃった」
彼「違うでしょ」
私「え?」
彼「さゆりが家から出たくないのは違う理由でしょ」
私「何を言ってるの」
彼「さゆり家から出たら交通事故で死んじゃうもんね」
私「あなただったの?」
彼「あのノート、見せてもらったよ。
少し前ノートに書かせてくれたことあったよね。
書いた内容が次の日起こった。
その時理解したんだ。このノートはその日の思い出
を書くのではなく、未来に起こって欲しいことを書
くんだって。席替えで隣になるのから僕と付き合う
の全部君が仕組んだんだね。変だったんだ、僕に
は好きな人がいた。ある日その人に全く興味が無く
なった。それまでどちらかと言えば嫌いだった君に
興味を湧くようになった。今日ノートを見て真実に
気づいた時、君への興味は全く無くなった。恐らく
それがそのノートのデメリット。残念だったね。」
頭が真っ白だった。思い知らされた。自分だけに都合がいい事なんてないんだって。
私はひたすらベットで震えていた。
「家からでなければ大丈夫、大丈夫。私の部屋は2階なんだ車が家に突っ込んでも大丈夫。」
私の期待も虚しくその時はやってきた。
ニュース「○○空港行きの飛行機がエンジントラブルにより墜落したとの事ことです。現在がれき撤去作業が行われています、、、」
私「痛い、苦しい、なんで、なんで、なんでよ、、
暑い、おもい、手からが抜けてきた。声が出な
い。お腹に木材が!痛い!痛い!痛い!叫びたい!
喉も潰れてる!足の感覚がない、、」
私「やだよ、死にたくないよ、助けて、助けて。」
それから一二時間後、瓦礫の撤去が完了した。
飛行はプライベートジェット機でパイロットはパラシュートで逃げることが出来た。
---ニュース速報---
「墜落した民家に住んでいたさゆりさんが死亡した状態で見つかりました。警察の情報によるとさゆりさんの死亡推定時刻はつい先程との事、墜落してから2時間ほど瓦礫の下で耐えていたことが判明しました。」
「やるせない気持ち」
僕の家庭はお金には余裕はなかったが
幸せに暮らしていた。
車は家庭で1台。
アパート暮らし。
それでも行きたい学校に行き
やりたい部活にも入れた。
高二の夏頃だった。
親父が死んだ。
親父は車の整備士だった。
職場が徒歩15分ほどの所だったので
歩いていっていた。
親父の方が先に家を出るが
徒歩なので途中で追い越してしまう。
「行ってきます!」
毎日追い越しざまに声をかけていた。
帰りは母親が迎えに行き
兄弟と犬で2人の帰りと
ご飯を楽しみに待っているそんな毎日だった。
そんな平凡な毎日が続いたある日
ものすごい勢いで階段を登ってきて
僕の部屋の扉を殴る勢いでノックする母親。
「パパが息してない!早く来て!」
心配で自分が倒れてしまいそうな母親を落ち着かせながら急いで親父の元へ駆けつけた。
少し強い口調で
「救急車は呼んだのか?心肺蘇生は?気づいたのはいつだ?」
人に落ち着けと言っておきながら
僕の質問攻めになっていた。
焦っていたんだ。
救急車が着き、病院へ行った。
その日は脈も脳波も弱っているが
今の所安静にして置くしかないと言われうちに帰った。
毎日見舞いに行った。
手を取り
「そろそろ起きなよ!家帰ってご飯食べよう!」
毎日呼びかけた。
母親は毎日泣いていた。
僕は涙が出なかった。
父親がこんな状態なのに
涙も流さないのかと自分を攻め、イライラしていた。
親父が入院して1週間後、
親父が息を引き取った。
弟は泣き叫び、兄は呆然としていた。
2人とも気持ちの整理が付いていなかった。
兄弟や見舞いに来てくれた方が部屋を出て、
僕と母親、母親の姉、祖母が残った。
僕は自分が前も見えないほどに
泣いていることに気づかなかった。
気づかなかった、自分が周りを慰めるために強がって涙を流していなかったことに。
理解したくなかった、親父の声が一生聞けないということに。
葬式が終わり親族でうちに泊まり親父と別れの時を共にした。
あれから何年もたったが、未だに僕は強がっている。
でも、同時に後悔もしている。
親父は平然としていたが、歩いて通勤し、整備士だから力仕事だ。家族のために資格勉強も欠かさずしていた。
少しくらい休んで欲しかった。
少しくらい家族に頼って欲しかった。
親父の死が家族を変えた。
何かが崩れていくのを日に日に実感する。
ほんとやるせないよ。