自分の前で、人参のような赤毛の尻尾がゆらゆらと揺れている。自分の従者、シルヴィアのポニーテールだ。彼女がきょろきょろと辺りを見回すたびに誘うように揺れている。思わず掴みたくなる衝動に駆られるが、掴んでしまえば機嫌を悪くすることは必定なので、何とかコンラートは堪えていた。
自分の気を逸らすために、彼は口を開いた。
「お前、随分と物珍しそうに辺りを見てっけど……そんなに来たことなかったか?」
彼の前を歩いていたシルヴィアは立ち止まると振り返った。その顔は好奇心できらきらと輝いている。
「ええ。麓の街はよく訪れていましたが――王都は数えるほどしかありませんね」
「そうか。じゃあ、今日は好きなだけ見て回りな」鷹揚にコンラートは頷いた。「何か欲しいモンあったら遠慮せずに言えよ」
彼のその言葉に、シルヴィアは滅相もないと言いたげに首を横にぶんぶんと振った。
「お気づかいは有難いですが……それには及びません。見ているだけで充分です」
コンラートは苦笑した。
「別に遠慮すんなって」
シルヴィアは困ったように眉尻を下げて、再度首を横に振った。彼から何かを与えられるだなんて、二重の意味で勿体ない。彼は人に贈るとなると、お金に糸目をつけない。自力で賄える範囲で収めているだろうが――彼が贈り物を贈る相手には枚挙にいとまがなく、彼の未来を考えると少しでも多くの人に贈れた方がいい。
そんな彼女の胸中を彼が知っているわけではなかったが、シルヴィアは言い出したら頑固だ。長い付き合いでコンラートはそのことを熟知していた。今のままではいくら言葉を重ねても、うんと頷くことはないだろう。
(……勝手に買って、勝手にやるしかない)
コンラートは溜息をつくと、再び歩き出した彼女の後ろをゆっくりと歩き出した。
しばらく、彼はぼーっと彼女の跡を歩いていたが、ふと彼女が何かをじっと見つめているのに気づいた。彼女の視線を辿ると、その先には帽子が置いてあった。
(そう言えば、こいつが帽子を被っているところなんて見たことないな)
彼女は少しの間、帽子を眺めていたが、やがて歩き出した。コンラートはさっと帽子が置いてあった店に入ると、一つの帽子を掴んで購入した。陳列されていた中で、一番彼女に似合いそうなものだ。
戻ると、シルヴィアはすっかり先を歩いていた。彼は走って彼女を追いかけると、その頭に買ってきた帽子を被せた。
急に視界が狭くなって、彼女は小さな悲鳴を上げた。思わず頭を押さえて、ふわふわとした感触に困惑する。立ち止まった彼女は、頭に乗ったものを取り払った。
それは帽子だった。しかも、さっき見ていたやつだ。
シルヴィアは振り返った。こんなことをするのはコンラートしかいない。
「コンラート坊ちゃん?」
彼はふわりと微笑んだ。
「思った通り、やっぱ似合ってるよ」
日々の生活には小さな勇気がいることがたくさんだ。すぐになくなってしまう。
君が何かに感嘆する姿を見ているのが好きだ。君の物事の捉え方は独特て独創的。僕の世界を広げていってくれるから。
終わらない物語を始めよう。それなら、君のいのちはぐるぐると円環のように循環する。いつまででも君はすぐそこに。君は永遠のいのちを得て、ぼくの傍に立つ。
真夜中を過ぎた頃、アルアは遠くで聞こえる怒声で目を覚ました。
どうせ目覚めるのならば、小鳥のさえずりの方がよかった。がっかりした気分で、彼女はカーテンを少し開けると、隙間から外を覗いた。
家の周りに人影はなかった。怒声はもう少し遠いところのようだ。
(……よかった。まだ家が見つかってないみたいで)
アルアは内心胸を撫で下ろす、今度はどんな物音にもわずらわされないように、きちんと耳栓をして二度寝の体勢に入った。
瞼を閉じると、まなうらには満天の星空が見える。アルアにとって物心ついてからの原初の記憶だ。ちかちかと瞬く星を数えているうちに、いつの間にか眠ってしまっていた。
しばらくして水平線から太陽が顔を出した。街に人々のざわめきが溢れ出してくる。
太陽が真上にやってきた頃、ようやくアルアは目を覚ました。
今日は任務も何もない。簡単に身支度したアルアは、小腹が空いていたので、何かつまもうと階下に向かった。
もう時刻は正午を回っている。街中は人々で賑わっている頃合いだろう。路地裏の突き当たりにある、家々に囲まれたこの場所には、その賑わいは届かない。いつだって静謐だ。
リビングに足を踏み入れた彼女は、ソファでぐっすりと眠るアルフレッドを見つけて、溜息をついた。
また夜明け前にでも帰ってきたのだろう。いつだってそうだ。彼の寝室もアルアと同じく二階にあるが、足音や物音で眠りの浅い彼女を起こさないようにという気づかいに違いない。
(……別にいいって言ってるのに)
それよりも、どうせ気づかってくれるのならば、賭博で荒稼ぎする癖をやめてほしいものだ。
彼が知っているのか否かは知らないが、彼と勝負して大金を巻き上げられた強面の人たちが、彼のねぐらを突き止めようとあちこちうろついているのだ。実際に突き止められて、襲撃されたことは何度もある。そのたびに引っ越すはめになるのだ。
頻繁に引っ越す理由を、アルフレッドに問われたことがあるが、そのときは到底真相を口にすることはできなかった。彼がとても不安定な時期だったからだ。
アルアはパンを焼き始めた。いい匂いが辺りに漂い始めた頃、床が軋む音がして、アルアは音の方へと振り返った。
「おはようございます」
パンの匂いに釣られたらしいアルフレッドが、寝ぼけ眼をこすりながら顔を覗かせている。
「もうお昼だって過ぎてるわ」
アルアはそう言うと、口元を少し緩めた。