『遠い日の記憶』7/426
年々暑さを増す夏の、鬱陶しい程に照りつける太陽。
逃げ込む日陰もなく、自分の影に自分は入れない。
空の澄んだ青さに悪態をつきながら進む。
どこまでも風景の変わらない平坦な道だった。
そして、それはずっとこれからも。
夏の青色はずっと変わらないし、
日差しを受けながらも歩き続けなきゃいけない。
けれど、ポケットの中の飴玉はすっかり溶けていた。
『星空』13/419
「あっ!パパ、みてみて、流れ星だよ!」
「おお、珍しいね。どこだい?」
「あっちの空にね、ひゅーっ、て飛んでったの!」
「残念、パパも見たかったなあ」
「ねえパパ、どうして止まってる星と動いてる星があるの?」
「うーん、難しい質問だね。パパは詳しくないから…ママが帰ってきたら一緒に聞こうか」
「うん!ママ、ものしりだからね!」
⸺遅いな。もうとっくに帰っていても良い時間だが…
壁掛け時計は21時半を指している。
絢もママを待とうと頑張っているが、そろそろ限界も近そうだ。
「絢、もう遅いからおやすみしようか。流れ星のことは明日聞こう」
「やだ、待つもん…」
とろけた声が返ってくる。
「…そうだ、絢ちゃん。パパ、星についてのお話をしてあげようか」
小さな頭がこくん、と動いたので、僕はソファに寝そべっていた絢を寝室に抱えて行く。
『星の銀貨』。グリム童話でも有名なものの一つ。
絢をベッドに寝かせ、自分も添い寝しながら、読み聞かせをする。
「…おしまい。どうだったかな…って、もう寝てるね」
短い話だったのだが、絢は小さな寝息を立てていた。
どうやらだいぶ無理をして起きていたみたいだ。
起こさないようゆっくりと体を起こし、寝室を後にする。
そうだ、常夜灯は点けておかないと、ママに怒られてしまうな。
…紬はいつ帰ってくるのだろう。これほど帰りが遅くなったことは今まで一度たりともなかった。
頭を、不安が掠める。
銀貨なんて要らない。紬を連れてきてくれればいい。
初めて、流れ星に願った。
夜空を見上げると、彼方から星が一筋、こちらへ向かってくるところだった。
『赤い糸』16/406
きっと、生まれてから私たちは、きっと。
繋がっていたんだ。運命が結んだ、その糸で。
偶然に出会った私たちは、必然に惹かれ合った。
私は、自分であなたを選んだと思っていた。
でも、違ったんだ。運命が私たちを引き寄せたんだ。
指が重なってから、私の人生に色が生まれた。
たくさんの思い出ができた。いい事も、わるい事も。
たくさん喧嘩して、たくさん愛し合った。
次第に、糸は絡まってきた。
身動きが取れなくなってきた。
あなたの傍から、離れられなくなった。
離れる理由もないから、別に構わなかった。
距離もずいぶんと近くなって、居心地が良かった。
糸が体に食い込んで、苦しい。けど、嬉しい。
あなたをこれ以上なく近く感じられるから。
あなたのことだけをずっと見ていられるから。
運命の赤い糸、なんて信じない。
だって、小指に結んだ赤い糸は、既に切れている。
その代わりに、あなたと。左手の薬指に結んだ糸で。
糸を赤色に染めて、私たちは繋がっているんだ。
『ここではないどこか』10/390
「心ここにあらず」という言葉があるように、人間は現実世界から離れ自分の想像の世界にトリップすることがよくあります。これは俗に「現実逃避」と称され、文字通り「逃げ」の選択と見なされることもあります。
その通りです。トリップは目を背けているだけ、何の解決にも至りません。単なる自己満足、現実の自分に欠落しているものを想像で補い、そんな自分に酔っている。
それで良いじゃないですか。誰もが困難に立ち向かえるほど人は強くありません。想像の殻に閉じ篭っても、誰も文句は言いません。誰だって挫折しないとは言い切れませんからね。
ただ、そうしてばかりもいられない。ならばどうするか。人だ。人は人でしか救えない。差し延べられた手は掴め。仲間を恐れるな。構わず全てを託せ。頼ることを恐れるな。必ず頼られる日は来る。そのときに仲間が迷わず頼ってくれるために。今はひたすら、手をのばせ。
ここではないどこかから、戻って来られるように。
『繊細な花』8/380
今日で、この花を育てて半年になるんだ。
室内に飾っているんだが、中々難儀な奴でね。
環境にうるさいんだよ、この子は。
やはり日光が欲しいのか、カーテンを閉めると決まって不機嫌になるんだ。
そうくると元気な顔が見られなくなって悲しいから、
僕はちょっと窓を開けてやるんだ。