神様へ
『ほら神様が見てるよ』
鳥居に向かって指を指すその先、境内の向こうその先にある社には天神様がいらっしゃる。
祖母は深々と頭を下げ、を手を合わせては何処にも見えない『神様』に日々の感謝を伝える。
その尊さは、私が祖母の年齢を超えた今になってわかるようになった。
かつての自分と同じ年の孫は不思議そうに境内を歩く。キョロキョロとしながら社の前に立つ小さな手を自分の皺が刻み込まれた手で包み込んだ。
『ほら、神様にお願いしようね』
最近関節が少し痛む膝を気にしながら屈むとキョトンとした大きな瞳が困ったような色をした。
『お婆ちゃん、神様は何処にいるの?』
幼児らしい困惑に懐かしさと愛おしさが胸を焦がす。祖母もまた、当時はそう思ったかもしれない。思っていたらいいと思う。
『神様はね、目に見えないけれどちゃんと心の中に居るんだよ。』
『そうなの』
『神様は目に見えないからこうやって目を閉じるの。』
二礼一拍
立ち上がって見本を見せるとおずおずと小さな手が真似をする。
『そうするとね、心の中に大切な人が見えるでしょう。神様がその人の姿を借りて見にきてくれるんだよ。だからその人にありがとうって伝えようね』
深々と頭を下げてみせる。
孫はこちらを見ると意気揚々と頭を下げた。
『神様ありがとうございました!』
その姿に自分はもちろん、後ろに並んだ人たちもが笑顔になった。
帰り道、手を繋いで境内を出る。
嬉しそうにブンブンと小さな手が振られている。
懐かしさが胸に満ちては、戻らない時間を愛しさと違う痛みが宿った。
『そういえば神様は何で言っていた?』
祖母は私によくそう言った。
懐かしい日々を重ねたただの気まぐれにすぎない。祖母と同じように⛩️の先の社を指差す。
孫は小さな手を大きく掲げて手を振った。
まるで社の向こうに誰かいるかのように。
そして笑ってこう言った。
『またおいでね。いつも見てるよって』
ばあちゃんに似たお婆ちゃんだったよ。
幼い目に誰が映ったのかはわからない。
けれど鳥居の向こうのその先に
優しく微笑みながら立つ祖母の姿が見えた気がして私は社に向かって感謝を込めて深々と頭を下げた
遠くの空へ
昔ギリシャのイカロスは蝋で固めた鳥の羽を
両手に持って飛び立った。
空を駆け地を発ち羽を広げて
青い青い大空に抱かれ
太陽に焦がれて地に落ちたという。
飛行機という文明がもたらした偉大な交通手段は
遠い地と今を簡単に繋ぐようになった。
今では当たり前のように海の外の世界に行ける。
物理的に簡単になったというのに
逆に精神的に海外という世界は遠くなった。
インターネットがあればより簡単に海外と
繋がれる。バーチャル世界の発展がこれからの新しい世界の領域だと、数年前には言っていたような気がするがまだまだそこ迄至るには時間が必要みたいだ。
イカロスほどの熱量がない私にはGoogle Earthで知った気になる卓上旅行で充分だけど、いつか遠くの空の、あの美しいオーロラを見てみたい。
私の世界が終わるまでに
戻らない時を無碍に過ごすのは勿体無いかな。
そんな感じのことを思った昼下がり。
もう4月とか…
これからも、ずっと
いちばんの親友
そう思っていたからさよならは本当につらかった。この世の終わりだと思った。追いかけようとして止められた。
生活の端々に君がよぎる。
何をしてもそばにいた。
振り返っても誰もいない。
その事実がだけが現実だった。
手放したものが壊れてしまった時、
人は何をしたらいいのだろう。
一緒に壊れてしまえたら良かったのに、
人は思いもよらずに頑丈で、時間の流れは残酷だった。
手にした写真は色褪せて
思い出せるものの中に鮮明だったものはない。
声も手の温かさも、笑顔すら。
遠い霧の外にあるみたいに曖昧で
その曖昧さに救われた。
もう、会えない事が苦しくて
もう戻れない事が悲しくて
いつしか忘れてしまう事が悔しくて
色を無くして削ぎ落とされて
残ったものは愛しさだった。
もう会えないことよりも出会えた事が嬉しい。
思い出は永遠に生き続ける。
離れても。
これからも、ずっと。
それだけが真実。
それでいい
そのままでいいんだ。
そのままがいいんだ。
必死に背伸びをして居る背中に胸が痛む。
家族を奪われ、国を追われ、罪なき罪を被せられて何もかもを失った憎しみを忘れた日などない。
あの日、必ず根絶やしにすると誓った筈の血を現す赤い髪を持つ子供はいまや自分を支える礎と言ってすらいい。
世話係を押し付けられた長い月日は
いつしか憎しみを超えた愛しさで塗り替えられていた。それくらいには側にいるのが当たり前だった。
お前は俺の親友だよ。
たった一人の家族だ。
そばにいる事が一番だと思っていた。
なんせ赤ん坊から育てたようなものだった。
親心とすら言っていいと思っている。
そんな日々がずっと続くと信じていた。
そんな夢想がガラリと雰囲気が変える。
あの日の抱えきれない罪は、平凡だったぬるま湯をあっという間に煉獄に変えた。
大きな身体に幼さを宿した子供は
いつからか呪いのように『変わる』という単語を口にする。朝焼けの美しい赤を宿した髪を切り、常に追われるかの様にその身を何かに差し出す。
怯えるかの様に変わりたい、変わるんだと口にする姿と、それをただ見守るだけの少女に対して場違いな怒りすら覚える。
変わるというのは何に対してだ。
擦り減ることをやめない子供は摩耗していく自身の姿を見ようとすらしない。
一番の側にいる、それが支えになると信じていた。
『俺がアッシュの代わりに消えるよ』
悲しむ事すらせずにやっと見つけたと言わんばかりに声を上げる背中を見てやっと気づいた。
側にいるだけでは届かないという事に。おそらく、それに気がつくのは遅すぎたんだと思う。
変わるという事が、悪い方になるという事が
当たり前にあるということを。
おそらく変わらないといけないのは俺だった。
側にいるだけではダメだったのだと、悟った時には誰の声すら届かない場所にお前は居たのだろう。
変わらなくていい。
そのままでいい。
側に入れさえすれば良かった。
でも誰もが知っている。
誰か犠牲にならないと滅ぶ。
誰かの犠牲の上でしかない。
もうそれ以外の方法がないということを。
必死に悲痛な叫び声を上げて手を伸ばす体を
全身で押さえつける。
耳をつんざくその悲鳴は自分の心が上げた叫びそのものだった。
『馬鹿野郎が…』
天を裂く程の光に当たりが照らされた中で
振り返る赤い髪の少年の目が
それでいいんだ、と微笑んだ
一つだけ
人は産まれた時に必ず椅子を持って生まれる。
『存在』しているという証は
望む、望まないとしても必ず持っている居場所だったりするんだろう。
だとしたら『作られた命』はどうなんだ。
自然に産まれたものではない。
望まれて産まれたわけでもない。
道具として作られて
感情を持ってしまった。
人ではない人ならざるもの。
ましてや奪ってしまった俺はなんなんだ。
たった一つだけの椅子を奪いあうように
存在してしまった俺は、存在するだけで罪の証だった。
でも罪だと認めてしまえるほどに簡単な話でもない。だってティアは言うんだ。『ちゃんと見てる』って。変わってみせたかった。たとえ死ぬまで拭えない罪で両手が赤く染まり続けていても。
存在するだけで憎まれるレプリカは俺自身だった。望まれて産まれたわけじゃない。でも生きたかった。世界がどんなに辛くても、苦しいことだらけでも、それでも美しくて、そして好きだった。
世界でひとりぼっちだと思っていた。
憎まれるだけだと思っていた。
俺が奪ってしまった居場所を、いるべき人間に変えそうとした。そしたらアイツさ、顔真っ赤にして怒るんだ。
ずっとアイツ、俺を憎んでた筈なのに情けない事を言うなって。そんでわざわざレムの塔で助け舟まで出すんだぜ。天邪鬼すぎるよな。涙が出そうなくらい嬉しかった。
本当はさ、俺は『模造品』として世界の役に立って死にたかった。だってそうでもしなきゃ生まれてきた意味がわからなかった。
望まれて生まれてきたわけでない。
俺がみんなを不幸にすると思ってた。
そんなの望まない。だってさ、俺みんなが好きだったから。
死にたいって思ってたのに、死にたくないって怖かった。本当は誰からも必要ないって思われるのが怖かった。必要とされたかった。誰かの椅子を奪うんじゃなくて俺の、俺だけの一つだけの椅子が欲しかった。無いものねだりだっただけで、もうすぐ俺の時計が止まる。そうなってから初めて気がついた。
椅子なんてものみんな持ってなかった。
そんなの幻想だったんだ。
俺は俺が生きてるって安心感を他人に委ねたかった。そうじゃない、そうじゃなかったんだな。
昔イオンが言っていた。
『貴方は貴方であるだけでいい』って。
同じレプリカ同士の憐れみだと思ってた。
そうじゃない。お前はちゃんと全部わかってたんだ。もう居なくなってしまった差し出された手を、今ようやく握れる気がする。
誰から必要とされるから生きているわけではなくて、誰かを必要とするから生きているわけでもない。そんなの関係なく、生きている。命が続くから生きていて、だからその時間で何かを掴むことで、俺は俺を肯定するだけなんだ。
残された時間はもう僅かだろう。
頻繁にジェイドが点滴を打つように薦めてくる。
飄々としたいつもの顔に、隠しきれない切迫感を感じて嬉しくなった。
あのジェイドが、なんて昔の俺だったら嫌味なだけだとしか思えなかっただろう。口元に笑みが溢れる。
夜空の先には天空に立つエルドラントが見える。
随分と遠くに来てしまった。
明日には最終決戦となる地に立つことになるだろう。
最後まで保ってくれよ、俺の体。
かの地の先で待つ敵はかつての師だ。
止めなくていけない。
誰のためでもない。何かを成す為でもない。
自己犠牲でもない。
ただ話をしたい。結果として互いに剣を向けることになっても。
人は変わる。
良くも悪くも。
それは俺も、みんなも、誰も彼もだ。
何かを掴む為に人は選ぶ。
でも俺は誰かの犠牲の上にそれを成してはならないと思う。
偽りの過去をもち
偽りの命を与えられた俺が
たった一つだけ掴んだ答えこそが
本物であると証明する為に。
決戦の地は目の前で待っている。