梨
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しゃり、しゃり。
あまくてさわやか。
しゃく、しゃり。
みずっぽい。
しゃり、しゃり。
しゃり。
すこししょっぱい。
7日目の放課後。
君はもう居ない。
8日目の朝。
君は居ない。
白い部屋の中は空になっていた。
───
「お土産、持ってきたんだ。梨。すきだったでしょ」
夏。じわじわとなる蝉の声。
君は日差しを受けて火傷しそうなくらい熱くなっている。
「……ん、やっぱりおいしーね。母さんが買ってきたんだよ、君の誕生日だから渡してやれって」
本当は、果物を食べたのは君と一緒に食べたあの時だけ。
「"かおり"だっけ、これほんとにすきだったよね君は」
甘い。
あの時助けてもらったときからこの甘さが好きになった。
じわりとひろがる暖かさが好きだった。
「君と同じ名前だよね。だから好きだったのかな、君って案外単純だし」
あの日から、食事を楽しみに出来た。
甘かったし、苦かったし、酸っぱかった。
久し振りに「味」を感じられた。
「ね、かおり。君も食べれたらよかったのに」
石の下に埋まった粉々の君。
口も舌もない。
味を感じることなんてできなくなってしまった、君。
「ねえ、こんなに悲しいことってないよ」
君が居なくなった。
けれど、この甘さは消えない。
じりじりと太陽が頬を焼く。
「…………あーあ、自分も早くそっちにいきたいな」
君の誕生日なんて、ほんとは知らない。
自分の両親なんてとうに居ない。
天涯孤独な自分に差した、たった一つの光。
君はもう居ない。
ひたりと、焼けた君に頬を当てる。
痛みが君を証明している。
そんなことはないのだけれども。
「ねえ、迎えに来てよ。あのときみたいに」
初めて出会った屋上で。
初めて食べたあまいもの。
初めて感じた優しさ。
初めて想った君のこと。
自分の初めては君だけだったのに。
自分の初めては君だけが良かったのに。
「すきだよ、かおり」
どうせなら、自分が死ねたらよかったのにね。
悲しむ人が大勢いる君よりも
ひとりぼっちの自分が死ねたなら。
君だけは幸せに生きて欲しかった。
君と一緒に生きたかった。
でも、大丈夫。
ひとりはなれてるから。
心配しないで。
答えは、まだ
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理由のない焦燥感が、目を冴えさせる。
いつも人より遅れてゴールしてしまっている。
徒競走もマラソンも小学校のテストの100点も。
決まって最後は私だ。
出席番号も最後。
課題の進捗も亀より遅い。
頭も身体もスペックが低い。
病院に通うことになった。
深刻な心のバグが発生してしまった。
ただでさえ周りからは一歩遅れているというのに。
一歩どころかグラウンド一周分離されている心地なのに。
心のバグは完治するのだろうか。
治らなかったらどうしようか。
遅れてしまった分はどうやって取り戻そうか。
なんとも癒えないドロドロが傷を這う。
私たちは生きているだけでお金を消費する生き物だ。
お金は労働の対価として発生するものだ。
労働もせずに消費していれば、いずれ分かること。
気が付かないほど、私は馬鹿じゃなかった。
心のバグには病名がついた。
病気なら、許されるのだろうか。
許される為に生きなくてはならない事は知っている。
それでも、それでも考えてしまう。
どうしてだろうか。
この問いに答えを求めることは愚かだろう。
馬鹿で、阿呆で、意気地無し。
卑下ばかりすることはよくない。
知っている。
知ってる。
言われなくても、知っている。
心のバグはバグらしく思考を汚染させている。
社会人になっていく周りを見ると落ち込む。
体調を悪化させてメンタルをぶっ壊していく。
どこにも居場所なんてないんだぞ。
お前は役立たずなんだから。
早く社会の歯車になる練習をしないと。
役立たず。役立たず。役立たず。
…⋯⋯⋯この文章を書いているおかげで
正体不明の焦燥感に理由が出来た。
このアプリをダウンロードしたころは
純粋に小説書きたい一心だった。
けれど、今日は少し壁打ち気味に文章を書き殴った。
これはいい。
お題とは関係のない結末。
けれども理由が分かって安堵した。
理由は分かれど焦燥感は消えないが。
誰かがこの文章を見て、ハートを押す。
そう考えると自己肯定感と承認欲求が上がる。
今までもそうだった。
自分の稚拙な文章が誰かの心を動かした証拠。
確かな証になるのだから。
次に書く時にはバグが少しでも良くなってますように。
名も知らない誰かさん。
見てくれてありがとうございました。
貴方が健やかに社会を生きられることをここに願って。
おやすみなさい。
願い事
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例えば、この物語がフィクションだと。
誰かの創作物だと。
そう思うと気が楽になってしまう。
何度目かのボツ案で、この物語は途中で終わる。
そうしたら、私は子供のままで。
未だに燻り続ける片想い。
まだ手を付けていない課題。
借りたままのハンカチ。
週末の遊ぶ約束。
消し忘れた部屋の電気。
目の前に転がる血のついた包丁。
殆どの事が私が悪くても、逃げられるなら。
責任から逃げられるなら。
私はこの短冊に願いを込める。
神様、このセカイはボツにしてください。
空恋
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結局私は、空を見上げることはなかった。
前を、その足元を、見ていた。
見慣れなかった泥の中に星を見た。
私の空は、上にはなかった。
偽りに映った星空が好きです。
瓦礫に埋もれた小さな花も、私を慰めた。
上から降り注ぐ冷たい涙は、心を冷やした。
この心は、報われることなど無いのだろう。
都合よく勇者が現れることは無いのだろう。
それでもまだ、今はまだ、
俯いたままに、赤い空を想わせて。
届かない…
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「うん……」
ぐうっと背伸びをして、本棚の頂点に居る御猫様と鼠の玩具を目指す。背の無い私には、到底届きはしなさそうだった。
御猫様は悠々と毛繕いし始めた。嗚呼、そんな場所で毛繕いなどされたら御身体を壊しますよ……
「御猫様、どうか降りてきてください……あわよくば、お近くにある其処の鼠も持って……」
にゃあ、とひと鳴きすると、尻尾でこちらに埃を被せてくる。続いて鼠が頭に落ちてきた。ぺしゃりと柔らかい感触が頭にあたった。
「ひい、ち、血が……!」
得意げに鳴いた御猫様は、私の頭を狙って飛び降りた。軽々と床に着地すると、身なりを整え、大旦那様のお膝へと飛び乗った。
「御猫様、家の手伝いを虐めてやるな。あれは鈍臭いが良い奴なのだよ」
大旦那様……それは褒めていらっしゃるのですか?
「……あ、鼠の玩具がまだ上に」
どうやら御猫様のきまぐれは、私を助けてはくれないようだった。