刹那
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くゆる空
桃色いろどる
櫻狩り
春のけむりは
夕陽のなか
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冷たい夕空に舞う桜吹雪が煙のように見えた。
いつもの帰路。
いつもの岐路。
違うのはただ、ならび散るさくらの花。
刹那に感じた桜の煙たい香り。
燻製でもしているのだろうか。
隣のおじさんが作ったサーモンの燻製。
桜チップで作ったらしい。
柔らかな、甘い匂いが食欲をそそったものだ。
閑話休題。
ゆるりと目を細めて桜を見つめた。
幹は太くしっかりとしていて
枝には花が豊かに咲いている。
春だなぁとしみじみ思う。
また風が吹いて、地面に散った花びらが宙を舞う。
夕暮れで少し冷えた季節が頬を撫でた。
今日も輪郭が掴めない季節。
移ろうあの子の視線が春霖を呼び込んだ。
ポツと鼻先に雨粒。
傘を持っていない私は、早足に桜を追い越した。
神様へ
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見た。
雫が一滴、瞳に落ちる瞬間を。
決して、瞳から、ではない。決して。
冷たい風が残る初春。
露の残る薄紫の朝。
彼女の瞳は落ちた雫で潤んでいる。
『何よ、何を見ているのよ。あなた、私を見て、何を思ったのよ。次、あなたの視線を感じたら容赦しないわよ』
彼女はくるくるとキャップの蓋を閉めながら瞬きをした。
けれども、私は返事をするすべを持たない。
ただ揺らいで浮かぶ雲のような季節だから。
『でも、まあ、あなたは"視る"のが仕事ですものね。だから、よ。一回だけ許してあげるのよ』
特別よ、と柳のような手で私をふわふわした。
柔らかで冷たい手は私の輪郭をはっきりともにゅふわできる唯一のおてて。
『じゃ、私はここにいるから。あなたもちゃんと人間どもを見るのよ。私もちゃんと見てるから』
そう言って私をぽいと宙に向かって放り投げた。
そのまま私は春になる。
暖かい風をまとって、世界中に春を吹く。
桜を吹雪いて、ミモザを揺らして、白蛇たちに挨拶を。
私は春です。
世界は、春です。
はる、うらら。
神様への手向けに、人々の喜びを。
優しさ
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「………く、お……さく、…て」
少女のあどけない声が聞こえる。
まだふわふわと夢見心地の頭に響く。
「もう、いいわよ……柳がせっかくお見舞いに来たのに!」
「ふふ、大丈夫ですよ。……幸来様もお疲れなのでしょう。お菊様も昨晩は誠にありがとうございました」
──昨晩。記憶はないが、またあの枯れ木のような男の仕業だろう。良かれと思って、悪気など無く、私の記憶を奪っていったのだろう。
瞼が重い。
「覚にさ、辞めてって言わないの?」
「あの子はあの子なりに、幸来様を案じているのですよ。発生してまだ数百と少し……幼子なのですよ」
「子供だからってなんでもしていいわけじゃないの!」
ダンっと畳を叩く音がした。
衣擦れの音がさらさらと鳴り足音が少し遠ざかったあと、さぁっと襖の開く音が聞こえた。
「柳が言わないなら私が言う!もう、柳だって五百とちょっとしか生きてないくせに……まださくらのほうが大人みたいじゃない」
彼女がそこまで言い切った途端、ふっと意識が軽くなった。いつも通り、都合のいい目覚めだ。
「おや、お目覚めになられましたか、幸来様」
「……さく」
襖の側に目をやるとバツの悪そうな顔をした菊がいた。
おかっぱ頭の薄桃色の着物を着ている女の子。
私の側には柳が座っている。
白髪で灰色の着物に青磁色の羽織を着たお婆さん。
「昨夜は本当にお疲れ様でございました。体調は良好でしょうか?」
「さ、さく……あの…」
きゅうっと小さい体をさらに縮ませてたたらを踏みながらもぞもぞと話し出す。
「わ、私が!アイツ……覚に言ってあげる。さくにヘンなことすんなって、だから、その…………」
菊は、とても優しい。そう。とても優しい。人間よりも。
「菊、ありがとう。でも大丈夫。これは私の問題だから」
「…………う、ん……」
菊は俯いて、消えてしまった。溶けるように。まるで綿飴みたいに空気に溶けて消えた。けしてグロい溶け方ではなかった。
「幸来様も意地の悪いお方ですね」
くすくすと柳が笑う。
「わたくしから、覚に"お話"いたします。個人的なことですので、お気になさらず」
そう言って、柳も溶けていった。輪郭がぼんやりと滲み、気づいた時にはパッと消えていた。
優しい、優しい声が頭にこびりついていた。
『サク。咲く。もう、だいじょぶ。幸来、守るから。だいじょ、うぶ』
それは蜘蛛の糸。
枯れ木に絡んだ、ベタついた糸。
桜の蕾は咲かずに落ちた。
夢を見てたい
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ふぅわりと浮いた心地。
パステルカラーの雲が柔らかく、暖かく私を包み込む。
そのまま私は綿飴になってあの人の口のなかで溶けた。
そんな夢を見た。
ひたひたと冷たい廊下を裸足で歩く。
足元にある水たまりにトプンと浸かると、ゆらゆら揺れて、桃色のジュースになった。
そのまま私は冷蔵庫から出されてあの人の喉を通った。
そんな夢を見た。
ふと、目が覚めると暗い部屋の中だった。
ベッドから這い出して電気をつける。
まるで見覚えのないその部屋は、夥しいほどの『私』で埋め尽くされていた。
棚の上にはお人形。
ティッシュの箱には似顔絵。
壁には写真がたくさん。
そうやって部屋をぐるっと見渡す。
ゴミ箱に捨てられた綿。
机の上の飲みかけのジュース。
「おはようございます。良い夢が見られましたか?」
振り返ると、あの人がいた。
「……嬉しそうですね。そんなにいい夢でしたか? 私には到底分かりませんね」
私はゴミ箱に捨てた綿を無造作に掴んだ。
夢みたいに、あの人の口で溶けてしまいたい。
それか、ジュースのように飲み下されたい。
「あの、来ないでください。ほら、今日の分のお薬を飲んでくださいね。そうしたら、また夢が…良い夢が見られますよ」
夢だけじゃ足りないって、言っても多分伝わらない。
だから私は夢を見る。
「おやすみなさい」
でも、心地が良い。
ずっと、ずぅっと、夢を見てたい。
梨
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しゃり、しゃり。
あまくてさわやか。
しゃく、しゃり。
みずっぽい。
しゃり、しゃり。
しゃり。
すこししょっぱい。
7日目の放課後。
君はもう居ない。
8日目の朝。
君は居ない。
白い部屋の中は空になっていた。
───
「お土産、持ってきたんだ。梨。すきだったでしょ」
夏。じわじわとなる蝉の声。
君は日差しを受けて火傷しそうなくらい熱くなっている。
「……ん、やっぱりおいしーね。母さんが買ってきたんだよ、君の誕生日だから渡してやれって」
本当は、果物を食べたのは君と一緒に食べたあの時だけ。
「"かおり"だっけ、これほんとにすきだったよね君は」
甘い。
あの時助けてもらったときからこの甘さが好きになった。
じわりとひろがる暖かさが好きだった。
「君と同じ名前だよね。だから好きだったのかな、君って案外単純だし」
あの日から、食事を楽しみに出来た。
甘かったし、苦かったし、酸っぱかった。
久し振りに「味」を感じられた。
「ね、かおり。君も食べれたらよかったのに」
石の下に埋まった粉々の君。
口も舌もない。
味を感じることなんてできなくなってしまった、君。
「ねえ、こんなに悲しいことってないよ」
君が居なくなった。
けれど、この甘さは消えない。
じりじりと太陽が頬を焼く。
「…………あーあ、自分も早くそっちにいきたいな」
君の誕生日なんて、ほんとは知らない。
自分の両親なんてとうに居ない。
天涯孤独な自分に差した、たった一つの光。
君はもう居ない。
ひたりと、焼けた君に頬を当てる。
痛みが君を証明している。
そんなことはないのだけれども。
「ねえ、迎えに来てよ。あのときみたいに」
初めて出会った屋上で。
初めて食べたあまいもの。
初めて感じた優しさ。
初めて想った君のこと。
自分の初めては君だけだったのに。
自分の初めては君だけが良かったのに。
「すきだよ、かおり」
どうせなら、自分が死ねたらよかったのにね。
悲しむ人が大勢いる君よりも
ひとりぼっちの自分が死ねたなら。
君だけは幸せに生きて欲しかった。
君と一緒に生きたかった。
でも、大丈夫。
ひとりはなれてるから。
心配しないで。