いつかわたしが死んだあと、灰になってなんでもなくなっちゃうくらいなら、そのまえにわたしは灰になりたい。わたしのことをなんにも知らないだれかに、なれた手つきで燃やされるくらいなら、わたしはわたしを燃やしてしまおう。そうしたなら、わたしはきっとあの人に出会える。
わたしの一目惚れを笑ったあの人は、いつだってわたしのことなんてどうも思ってない。だってあの人には約束の人がいるんだ。そしてそれはわたしじゃない。わたしが交わした約束なんか、こんどはわたしにうそをいわないでってことくらいだ。
でも、だからなのかもしれない。あの人はわたしに軽口をたたいて、「またこんどな」「あしたにするから」だとか、先のばし先のばしにしていた。それはわたしをかわいい子どもだと思ってはいた証拠だ。そしてわたしは、かわいくない子どもになろうとがんばったけれど、あの人は笑っているばかりだった。そう、やっぱりわたしはあの人の約束にはなれない。いろんな意味で、わたしの一目惚れは最初から死んでいた。
あの人のお葬式にすら行けないわたしは、よくあの人がえさをやっていた野良の黒猫をなでるしかなかった。
わたしは、さいごのあの人がどんな気持ちでわたしに「またあした」って言ったのか、一生考えつづける。わたしの一目惚れはまったくロマンティックじゃなかった。あの人が首をつったから。わたしとの約束は簡単にやぶって、大切な人のところへ行ってしまった。
あの人をつれてゆくなんて信じられない。さいごのさいごまであの人は笑っていて、そう、またあしたあおうねって、言ったのに。
ふと思いだす。あの人の哀愁をさそう、かなしいかなしいさいごの笑顔。
ふと思い出すことは、あの子がいかにぼくにとって不健康だったかということだった。
日が落ちてしまうまえに、ぼくはいつだってあの子のことを考える。坂道で転げたあの子の笑い声、ビル風に揺れるあの子の髪にふれたこと、そもそもあの子はどんな顔だったっけ。そうやってこの365日のうち8割くらいを費やすから、ぼくはまえにもまして、ぼやっとしたつまらないやつになってしまった。どれもこれも、あの子のせいだ。
夕暮れのバス停でまたあの子のことを思うと、ぼくは衝動的にどこかへ行ってしまいたくなる。まるであの子を追いかけているみたいだけれど、あの子はそんな人じゃない。誰にも知られずに勝手にいなくなるような、意地悪な人なんかじゃない。そういう意地悪なあの子の幻影を追ってぼくもいなくなるくらいなら、ひとりで死んでいったほうがましだ。そんな憂鬱な考えが頭に渦巻いてやまないほどには、バスが来るのが遅すぎるとぼくは思っている。
もしかしたら理由はそれだけじゃないのかもしれない。今日はひどく曇っていて、ぼくの気持ちすら曇らせているだけなんじゃないか。ううん、きっとそうだ。
でも、それならどうしてあの子はいなくなったんだろう。どうして?あの日が笑ってしまうくらい晴れていたから?あの子が秋を好いていて、なんだか楽しくなってしまって、どこかピクニックにでも出掛けたくなったから?
あの日が10月でなくて、そのうえ雨かなにかだったら、あの子はいまもここにいた?
ぼくは秋晴れが嫌いだ。あの子を連れ去ったあげく、ぼくの思い出の中のあの子すら汚していくんだ。