誰にでも訪れる、特別な夜。
それは最期の夜。
虫にも、植物にも、もちろん人にも。
その命が尽きる、最期の夜。
ほとんどの者は、それが特別だと気が付かない。
仕事に疲れて倒れ込むように眠ったまま、目を覚まさないかもしれない。
修学旅行を楽しみにした学生の夜。次の朝、交通事故で亡くなるかもしれない。
妻と口喧嘩をして別々のベッドで眠り、翌日口を利かないまま外出して亡くなるかもしれない。
介護に疲れて夕飯を用意しなかった日の夜、祖父が亡くなるかもしれない。
今日が人生最期の、特別な夜だと思って、生きていこう。
生きている限り、いつかはその日が来るのだから。
そう思いながら生きると、好きな人に好きと、伝えられる。
やりたいことをやることができる。
自分を偽って、自分を誤魔化して、無為な人生を送らずに済むかもしれない。
少なくとも、死ぬときに後悔はしにくい。
「やらなきゃ良かった」より「やれば良かった」の後悔のほうが、死ぬときにはきっと、つらい。
そうして、自分の人生に真摯に生きていきながら、大事な人に「また明日」と言うのだ。
今日が最期だと思いながら言うから、その言葉は「当たり前」ではなく「奇跡を期待した心からの言葉」になる。
どうか、明日もまた、あなたも私も生きている、という奇跡が続きますように。
今日が特別な夜ではありませんように。
海の底にいる深海魚、あるいは蟹。
水面は遥か天の上。
彼らは、水面の上の世界のことをどう思っているのだろうか。
別世界?
捕食者が住む地獄?
彼らの世界は海の底。
海藻もプランクトンも、海底には山も海溝もある。頭の上を魚が動き回り、食べられないように警戒しながら餌を探し、交尾して子を残し、死ぬ。
それらが世界の全てで、水面の上は別世界。
私達も「空の底」に住む生き物。
頭の上の空は鳥の世界、その上の宇宙は死の世界と思っている。
大多数の人間は、「空の底」で多くの生を過ごし、宇宙に出ることはない。
もしかすると、鳥は別のことを思っているかもしれない。
もし宇宙に知性体がいるなら、大気の底をうろついている私達は、海の底の蟹と同じように見られているのかもしれない。
「見ろよ、大気の底にへばりついている生き物が、あんなに増えてるぜ。」