#119 光と闇の狭間で
狭間とは、物と物のあいだにある、狭く開いた隙間のことである。
であれば、AとBの狭間とは、
AでもなくBでもないし、
また、AでもありBでもあると言える。
加えてAとBは隣り合っていながら、
その存在は対極にあることが多い。
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この国に伝わる神話によると人間は、
天使と悪魔の間に生まれ、光と闇の狭間で生きる存在とされている。
その為、人間の心は常に正義と悪の間で揺れ動き、争乱が絶えないのだという。
魔の山と呼ばれる、人々が近寄らない山の麓に広がる森、その浅いところで細々と暮らす木こりの男がいる。木こりの男は、若い時分は材木の流通から加工まで幅広く扱う商会で働いていたが、その忙しさやギスギスした人間関係に疲れ辞めた。そして流れ流れて、この森に住み始めたのである。
通常は豊富な資源である森で木こりをやるなら領主の許可が必要なのだが、この森に限っては誰も所有権を主張しないため、男は合法と違法の狭間、つまり法の抜け穴を利用してモグリの木こりをやっているのである。
もちろん正規の木こりからは良い顔をされないし、通常のルートでも売りづらいが。
一日の仕事を終え、男は森を出てきた。
地上を明るく照らしていた太陽が沈み始め、
辺りは赤く染められている。
太陽の方を向けば、光を強く感じるが、
背は、闇に包まれ始めている。
光と闇の狭間で、
男は思いに耽るように一人、ただ立っていた。
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光と闇の狭間で、っていうと如何にも厨二っぽい言葉ですが、色々当てはめて考えてみると、これが結構楽しかったり。文章力が足りず、たくさんボツにしました。
あとは、
おかみさんに締め出されて、玄関の前でしょんぼりしてるおじさんの話も面白そうだったなと思いました。灯りの漏れる窓、かすかに照らされる庭。外の暗闇。そして薄闇に立つ哀愁漂うおじさん。
#118 距離
図書館をぶらぶらしていると、
第1巻の無いシリーズ物が、やたらと目につく。
付き合い始めたのが8月。
それから3ヶ月ほどで、
翌年4月から遠距離恋愛になることが決定した。
理由は、私の就職。夢を叶えるため地元を離れることにしたのだ。
「月に一回小旅行に行けるようなもんだね」
年上で既に社会人をやっていた彼の前向きな言葉が、私の背中を押してくれた。
じっと見ていたら、
そんなことを思い出した。
この本たちは、どのくらいの間を遠距離で過ごしているんだろうか。
#117 泣かないで
最後に涙を流して泣いたのは、いつだろう。
自分が泣く方か泣かない方かと言えば、
若干答えになっていないが、
私は泣かないでやり過ごす方が多い。
御涙頂戴な場面はもちろん、そうでなくとも何が琴線に触れるのか勝手に涙が出てこようとするし、
シャワーを頭から浴びてる時も泣きたくなるし、
時たま自転車漕いでいても泣きたくなる。
何なら、これを書いている今も何だか泣きたい気分だ。
と言っても実際は、寝ようとすればするほど寝付けないのと同じように、
いざ泣こうとしても泣けない。
それは泣いて状況が良くなったことも、気分がスッキリしたこともないせいかもしれない。
だから私は物理的な涙で泣かないで、
言葉に書き出して心で泣くことにしている。
「泣きたい」「悲しい」
「寂しい」「つらい」「泣けない」
自分の気持ちに正直な言葉を見ている方が、誰にも拭われない涙で風呂の塩分濃度を上げるより、
よっぽど慰められる気がして。
#116 冬のはじまり
やっぱりダウンを着たくなった時かな。
普段仕舞い込んで出すのが面倒だし、暑くなるのが嫌でギリギリまで着ないから。
それでも着ようって思ったときが冬のはじまり。
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「ただいまー。あ、りんごジャムの匂い!」
「おかえり。寒くなかった?」
「うんうんさむいさむい。だからジャム食べたい」
「分かった、分かったから、先に手を洗ってきて」
昼間も寒くなってきて、スーパーでりんごを強請っても買うのを渋られる頃になると。
親戚のおじちゃんから届くのが、箱に入った沢山のりんご。
僕の冬のはじまりは、
このりんごで作るジャムの甘い匂い。
普段甘いの食べすぎはダメって注意されるけど、
手作りだし砂糖が少なめだから大事に食べてると悪くなるって、これだけは怒られない。
年一回だからとか言って、いっぱい食べたいのは寧ろ向こうだと思うけどな。あれで隠してるつもりなんだから笑える。
よし、今日はトーストしたパンにバターを塗って、りんごジャムが垂れるくらい乗せて食べてやるぞ。
#115 終わらせないで
終わ「らせ」ないで。
簡単に見えて、
なかなか複雑な言葉だと思う。
何も手を加えなければ、
暫くは続いていくような事柄に対して、
自分以外の何者かが強制的に終了を告げる。
そのことに抵抗の意思を示しているのだが、
相手の方が主導権を握る上位の存在だと暗に認めている。
話の続きが気になり始めたところで次回に続いたり、プロジェクトが打ち切りになったり、
復讐や野心を中途半端なところで止められたり。
単に「終わらないで」となるのは、
物語や楽しい時間など、終わりに向かうことが分かっている場合や、ある程度は対等な関係を築けていることが多い。
どちらでも当てはまるのは、
本人が続ける意志を無くしてしまっている場合である。
ただし、「終わらせないで」が「あなたが自分を諦めてどうするんだ」という叱咤があるのに対し、
「終わらないで」には、「私はもっとあなたを見ていたい」という懇願が含まれている。
と、このように具体例を交えていけば話を終わらせないで続けられそうだが、
実際のところはネタがもう思いつかないし、話を広げていくのは本題から逸れる懸念を思うと筆が乗らない。やはり終わらないでいることは難しい。
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ここの他ユーザーさんで、バチクソ面白く読ませていただいている作品がありまして。
登場人物たちの距離感がなんともなんとも。
一日の楽しみです。
こちらは、ぜひ終わらせないで欲しいですね。