#54 相合傘
#36の続き
「少し早かったか」
彼の言葉を借りれば、梅雨のイメージを一致させるための散歩。
しとしと降っているが風はないので、自分で傘を差していれば濡れずに済む。
しかし私たちは、ほんのり湿り気を帯びながら歩いている。
彼の声が、とても近い。耳からというより、体を直接伝わって聞こえているような気がする。
「ううん、私が緊張しちゃっただけ」
意識して、歩く速度を緩めた。
私が手を掛けている彼の腕は、びくともせず、
したがって傘も揺れない。
いつもなら、それぞれの傘を差して歩いている。
だけど、たまに彼は開いた傘の下に私を招く。そして、その時は絶対に普段のより大きな傘を使う。
今日みたいに大きい傘を出すぞと宣言するときもあるけど、しれっと持っている時の方が多い。
傘の違いが分かりやすいから私はすぐ気づくし、彼も私が気づいていることに気づいていると思う。
でも彼は律儀に私を呼ぶ。
何も言わずにスッと入ってしまえば、
きっと意識しないでいられるのに。
毎回ドキドキしてしまうのは、そのせいだ。
「着いたぞ」
落ち着かず、ふらふらと彷徨っていた視線を前方に向けると、いつの間にか紫陽花がずらっと並んで植えてある通りに出ていた。
街灯にしては低く、ヘンゼルの目印にしては目立ちすぎ、イルミネーションにしては控えめ。
パッと目に入ってくる様々な青。
色づく前の黄緑や白も多い。
「こちらも早かったか」
「ううん、そんなことない。きれいだよ」
「そうか。このまま少し歩こう」
そう言って彼は、止めていた歩みを進め始めた。
ゆっくり色彩が移り変わっていく。
濃い青、薄い青、紫がかってピンクまで。
「こうして歩くと、バージンロードみたいだな」
「ふあ!?」
驚いて彼を見ると、ごく至近距離で彼の瞳とかち合った。
「嫌か?」
彼の目を見ているうちに、彼の傘を持つ手に強く力が入っていることが、彼の腕に掛けたままの自分の手を通じて伝わってきた。
「いやじゃ、ないです」
同じ傘の下、雨の音が私たちを世界から切り離してしまったような気がする。
あれ、何を、見に来たんだっけ。
距離の近さにボヤけ始めた瞳を見ながら、
そんなことを思った。
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休まず書いて2ヶ月弱。書いてて楽しいのですが、マンネリ感も出てきたので、ここらでひと休みしようかと思います。
私の中で、雑学男子の彼女が同一人物にしか見えない件は解決しませんでした。似た人か、パラレルか、昔と今か。
では、いずれまた。
#53 落下
前にテレビでチラッと、
羽根と、何か丸い物が一緒に落ちるのを見た。
普段ならヒラヒラと落ちていくはずの羽根が
まるで沈むように落ちていく様は
私の目には神秘的に見えた。
あれはなんだったんだろう。
ネット検索すれば答えが出てくると思う。だけど私は、あえて分からないままにしておきたかった。
分からないからこそ、心に残ったのだから。
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「それは真空にして空気抵抗をなくすと、重さに関係なく同じ速度で落ちるねーっていう、重力の実験だと思うよ」
私の疑問に、いとも簡単に答えられてしまった。いや、調べればわかると思っていたのだから、知っている人がいるのは当然のことだ。なのだが。
「ええと、求めていたのと違った?」
そんなに私は変な顔をしていたのか。彼が心配した風に顔色を変えた。
「…違わない。違わないんだけど…」
気にしてないと笑って済ませる。そうすれば丸く収まる、それだけの話。
でも何故か、彼の前では自分を誤魔化すことが出来なかった。
「それって、もしかして情緒ってやつだよね。僕、それがないからモテないって散々言われたんだ。困った、どうしよう」
そのまま、うーんうーんと頭を掻きつつ唸って考え込んだ彼は、あっと顔を上げた。
「じゃあ、実際に見てみる?先生に相談すれば実験させてもらえると思うんだ」
「え、そうなの?できるの?」
実際に見る。思ってもみなかった提案に、子供っぽい感情が吹き飛んだ。
「真空にする機器は小さいものがあるんだ。まずは聞いてみよっか」
「うん!ありがとう!」
「……った」
「ん?何?」
彼の小さな声は私には聞き取れなかった。
「ううん、なんでも。今から一緒に行く?」
「うん、行こう行こう」
その後、無事に先生の監督のもと実験を行うことができた。
てきぱきと実験の準備を進める彼の手や、
テレビで見た通りに落ちていく紙片(さすがに羽根は無かった)を見ていたら、
私の心も恋に落ちていった。
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#48の二人。
真空にする実験機器はあったはずだけど、
落っことす実験は出来たっけな?
できないって言われると話が変わってしまうので、
あえて調べずに押し通します。
#52 未来
いくら健康や安全に気をつけていても、
いずれ訪れる終わりからは逃れられない。
ポジティブなこと書きたいけど、難しいなぁ。
そんな話。
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例えば、
パンドラが開けて、トトロのメイよろしくブワッとなった箱。本来壺らしいが。
例えば、
ブッダが外に出て「うわあ…」ってなった四苦。
まぁ私は文章を書くのに四苦八苦してるわけだが。
ところで、
地震が続けば南海トラフを憂い、
雨が続けば、どこかで土砂災害が起きる日本で。
避難において障害となる正常性バイアスだが、これがあるおかげで希望-特に未来への-を持てるのではなかろうか。人生笑った方が勝ちとか、楽観主義とか。
そう思うと、労働人口の死因第一位が自◯っていうのは、うーん、問題しかない。
そこを乗り越えたとしても、老いと病魔の恐怖と寿命が待っているわけで。
なるほど未来に希望を持てない若者がわんさといるのも納得だ。
厚労省で出ている年齢別の死因順位を見ているうちに病みかけた私は、そんな風に考えた。
刹那主義という言葉があるのも頷ける。
生命は誕生以来、生きる方向に向かって進化してきた。その目的が何であるか、私には分からないし、多分どこにも正解は書いてないと思う。
なので生きる目的について考えても底なし沼にハマるだけで本当の答えは無い、それが私の持論である。
まぁ両親には何らかの動機があったのだろうが、
そんなの自分には関係ないので、
どう生きるかは自分で決めなければいけない。
未来を切り開くのは自分、という意味ではない。人生、自分の手ではコントロールできないことばかりである。ただ、どういう姿勢で臨むか、それだけは自分で決められる。
#51 1年前
1年前の今頃は、仕事が一段落ついたところだな。リーダーのプレッシャーでヒィヒィ言ってたなあ。
任期が1年だったので、今は平に戻っている。責任がないって、こんなに楽なんだなぁ。忙しさは変わらないものの、気楽さは否めない。
1年前。
その頃の彼女は、のびのびと遊んでいれば良かった。お膳立てされた環境の中、自分の欲求に従い、探究し団結し、そうして自分を満たし、ついでに相手を満たしていれば、それで良かった。
それが今はどうだろう。
用意された課題をクリアすることを求められて、自分の欲求に関係のない義務を与えられている。
それで一体、彼女の何が満たされるのだろう。
現に彼女は、その理不尽を表現しようと一生懸命だ。
何が起きるかわからない人生を生きることなんて、いつまで経っても慣れやしない。
だからといって、だからこそ、彼女には。
#50 好きな本
「好きな本か。考えてみるから、君から教えてくれないか」
「僕は、福田和代の『迎撃せよ』が面白かったよ。いつも図書館でタイトルを見ながら直感で選ぶんだ。これが何故かなかなかアタる」
「ふむ。それなら、僕は人に勧められて読んだものから選ぼう。沢木耕太郎の『深夜特急』が面白かったな。人間味があって、行ったことのない場所なのに 情景が思い浮かぶところなんかね」
「なるほどね。あとは、そうだなぁ。教科書で読んだ、村田喜代子の『耳の塔』が印象的だったなー」
「ちょっと知らないな。どんな内容か教えてくれるかい」
「もううろ覚えなんだけどね、娘だったかなあ。仕事で難聴になった父に付き添って補聴器を買いに行くんだ。でもね階段で置いていかれるかなんかするんだよ。それを読んだ時に、なんかこう…人の寿命や死を意識したんだ」
「興味を引かれる話だね、あやふやなのが残念」
「10年以上前に授業で読んだだけだからねー」
「学生時代に読んだものでいうなら有川浩の『キケン』かな。大学生ならではの行動力と青春に憧れたものだよ」
「ああ、お店の子の話だよね。ゴム銃の改造のくだりが面白かったな。憧れかぁ…それなら村上春樹の『1973年のピンボール』は知ってる?あんなに幸せそうに夢中になれるものを見つけられるって、いいなって思ったんだ」
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ここに出てくる本は、私が読んで面白かったものからいくつか。
あれはここが面白い、こっちは世界観が…と一つに絞れず。
なので、ちょいちょい出てくるけど会うことはなさそうな、情緒のなさに一部定評がある雑学男と、雑学で愛を語ろうとする男の会話で。