カラフルなラムネ
口の中に放り込んだら、じゅわっと溶けてゆく
また今年も夏がやってくる
善悪を見極めるためには、
過保護にならぬよう過干渉とならぬよう…
最悪、命の危険さえ感じなければ、悪い面を見ること体験することの必要悪があると思う。
かくいう私も、まだ未熟だった学生の頃に
年上の大人に憧れて、見知らぬ異性とメールのやり取りなどもしていた。
しかし、成人してから、あれは実は良くないことだったと認識を改めた。
大人側の方から、まだ善悪の見分けつかぬ未成年とそういったやり取りをしていてはいけなかったのだ。
幸い、当時はやり取りしただけで済んで、私はたまたまラッキーだった。
いたいけな子どもに対して、メールのやり取りしただけという行為はおそらく大勢いるのだろう。
そういった大人達に対して情けなく、軽蔑、失望を感じざるを得ない。
自らの欲望を満たすために、それぐらいはいいだろうと軽く思われていることが、我慢ならない。
ネットの世界で、顔も素性も見知らぬ、"いい人"の面を被って演じる悪い大人たちに、いいようにされてはならない。
そのためには、常に疑いの目を持つことも大事だ。
最後の最後まで、自分を守れるのは自分自身だけなのだから。
たとえ間違いだったとしても
自分が納得した上での選んだ道なら、
そのまま突き進めばいい
ふと立ち止まって間違ったかもと自覚したなら、
その分岐点で違う道へいけばいい
二度と後戻りはできないのだから。
無色の世界があるならば、それは音のない世界と等しいものだと私はそう思う。
実はそれこそがまさしく、私にとっての自由な世界なのだ。
ああ恋しい…。悔しき耳鳴りよ。
届かぬ想いは本当にあると思う?
私はそうは思わない。
言わなければ届かないのは確かかもしれないけれど、想いを秘めて秘めて…そしたら、それが念と形を変えて相手に届いてしまうのかもしれない。
それは自分が望んだものではなく、無自覚にそうさせてしまったことで、相手の心身に影響があったら?
それは果たして届かぬ想いであるだろうか。
どうせ叶わないのであれば、口に出してみてごらん
叶わないものほど念が負のものになってしまっては、その想いが可哀想じゃない?
どうせなら相手に伝えてみて、自分でけじめをつけた方がいい
相手がその想いを受け止めてくれるだけでも、それは昇華されるから。