神様へ
神様とは、みんなの意識から、みんなの祈りから
知らず知らずのうちに神様に見立てて祀って産まれたのではないか。
例えばお天道様、つまりは太陽を恵むために。
稲などの作物がよく育つよう、雨を降らせるために。
あるいは人への恨みが収まるよう、元は人間だった高貴な方を神様として祀って怒りを鎮めるために。
摩訶不思議な事が起きれば、それは天からのものではないかと騒ぎ立てては、どうか平穏に、皆の者が平和に暮らせますようにと、昔からの人々はそうやって神様に対して手を合わせてきた。
全ては人々が願った事が始まり、それが神様なんだろうと思う。
でも、無宗教である私でも、ここには八百万の神様がいるというのは、とても心強いなと思う。
いつでも守られているから、感謝の気持ちを持つ。
神様へ、いつもありがとうございます。
また明日も平穏に過ごせますように、どうかお見守りください。
このもやもや、無力感、自分ではどうにもならない
なのに言葉にできない
周りの人に助けを求めなくてはいけないのに
どうして私は言葉に出すことすら躊躇うのか
プライドなんて捨ててしまえばいいのに
惨めさが、ぐらつくこの自分が嫌で
誰にも見せたくないと思ってしまう
自分で自分の首を真綿で締めていってるかのよう
言葉にならない、この苦しさを
ずっと昔から自分のことは自分で助けてきたけれど
言葉にしなくてはいけない
行動を起こさなければいけない
そのためにはどうしたいのか。
いつまで経っても自分はずっと自問自答を続けている
寒い冬からようやく陽射しの暖かみが吹いてきて、それまで眠っていた花々たちが顔出してきた。
椿から見上げれば、梅、桃、桜の花が華やかに舞う。
足元にはスミレやたんぽぽ、つくしもニョキニョキと伸びてきた。
これぞまさに春爛漫。
春を大いに肌で感じ取って、目で見て楽しんで。
私たち花はこの時のためだけに咲いているのだから。
沈む夕日を眺めては、疲弊してる心に沁みる
「今日もお疲れさま。また明日ね」
エイプリルフール、実は私は嘘が苦手だ。
笑いのセンスがあればこそ、嘘で上手く騙せるんじゃないかなと思う。
残念ながら、私には笑いのセンスが全く無い。
しかし、別に嘘つかなくてもいい。
嘘はつけないが、私が隠しておきたいことは言わない。
そうすれば嘘つくことは一切無いから。