幸せになろう
いつも幸せがある
幸せを常に感じ取ろう
私の周りには幸せがたくさん溢れている
あなたは気付かないだけ
本当はもう幸せの中に包まれていることを
あなたも幸せな人でありたいでしょう
私は幸せなんだと無意識に思い込んでみて
そしたら、本当にそうなるから。
見つめられると、相手は自分のことが好きなのかな?と意識しだすという。
しかし、決してそうではない場合がある。
それが私だ。
相手の顔を見つめることが多いのだが、それは好意からではない。口の形を読んだり、手話も含めて読もうとすると、どうしても目を中心にして全体的に見なければならない。
また、どのような表情をしているか、相手がどのような性格なのかを様子を窺ったりもする。
つまりは、好意ではなく、むしろ自分にとって目の前にいる人は安全かそうでないかを見極めるために必要なことなのだ。
そうした行為でとんでもない誤解を与えてしまった人は漏れなく、残念ながら後者の方になるのだろう。
不条理。
それは肌色だったり、髪色だったり、生まれつきのものならばそれが自然体であることなのに
校則によって、天然であるはずのパーマにはストレートにしろという。
生まれつき明るく見えるだけの髪色であるはずなのに、黒に染めろという。
筋道の通らない、不条理。
不条理の校則こそ、今こそ見直すべきである。
愛と平和は繋がっている。
自分から愛や感謝の意を込めて、周りの人たちと接するように努めよう。
すると、周りはあなたの優しさ、慈愛に包まれて気持ち良く過ごせることに気付く。
それを自分で感じたからこそ相手も同じように返そうとするし、自分の家族や周りの人達にもそうしようと行動するだろう。
そうやって、見返りのない愛は自分だけじゃなく周りにも拡がっていく。
平和は、愛を込めてこそ叶っていくのだから。
ひなまつりの日は生家を失った時からお雛様を飾る習慣はなくなってしまったが、唯一続いてるのは、必ず母がちらし寿司を作ることだ。
普段は伝統の行事などもすぐ忘れがちなのだが、その度に母がちらし寿司や赤飯、おはぎなどをしっかりと作っては、ご先祖様にも必ずお供えしている。
その姿勢を見習わなければならない。
これから先も未来が続く限りは、私達にも受け継がれて、そしてゆくゆくは子孫へちらし寿司の味を教えてゆくのだろう。