秋風はどこへやら、肌にあたるこの空気はもう冬そのものだ。
とはいえ、風がそれほど強くなければ、裏地付きトレンチコートを羽織れば耐えられるくらいの気温だろう。
まだ冬が来てほしくない。もう少し過ごしやすい服装でまだまだ着たいファッションがあるのだ。
頼む!せめて、明日は風がありませんように!!!!
「また会いましょう、--さん。それまでお元気でね」
生まれ育った故郷は田舎で、大学が近くには無い。
電車で通えないこともないが、それでも1時間以上はかかる。
だから大学へ進学するにも、就職するにもほとんどの子どもたちが地元から離れることが多い。
中学から地元を出る人は数えるほど少なかったが、実は私もその一人だった。
卒業して旅立つ私に、恩師からその言葉を受け取った。
大変お世話になったことは確かなのだが、無情にも頭の中では、新生活についてワクワクとして期待いっぱいな気持ちで溢れていた。
今思えば、恩師も、親も寂しく感じてたのかもしれない。その一方で、私は地元にも、小中の友達にも未練もあまりなかった。
子どもというのは全く、本当に自分と未来のことしか考えていなかったのだなと今更ながら自分に呆れる。
私もいずれは、旅立つ人を見送る側になるのだろう。その時は必ず、この言葉は伝えようと思う。
また会いましょう。それまでは、あなたも私も元気で過ごしていきましょう。
スリルを感じるのが楽しいという人とはおそらく相入れなさそうだなと思う。
なぜかというと、一歩間違えたらあっという間に…という、悲しい不運の事故となるのが思い浮かんでしまうからだ。
例えば運転でのスピードだったり、川などへの飛び込みだったりして楽しむ人は多いだろう。
楽しければいい!
あぶないことはないから大丈夫!
…などと、自分に根拠のない過信を持つ人はより危険だと思う。
事前に自分の身を守れるのも、自分だけだ。
スリルの代わりに安全で平穏な趣味で充分だ。その方が私にとっても楽しめている。
「意味がないこと」というのは、あくまでも自分にとっての基準で決めることである。
あらゆる"音"を正しく受信できない私の身体には、どのような音楽でも素晴らしい音声であってもそれは等しく、私にとってはガラクタとなり意味を成さない。
私の生きる世界に、音は必要としない。何故なら、意味がないことだからだ。
あなたとあたし さくらんぼ
-大塚 愛-
なんとなく、料理してる時や風呂入ってる時などで、無意識に歌ってしまう。
文字にしてみれば、たった3語くらいのものだが
音楽に乗せるとキャッチーなのだろう。