『たとえ間違いだったとしても』
デジタルな画面上に麻雀の牌が並び、九種九牌の表示とともに流局するかしないかの選択肢が出る。強い雀士なら迷わず次の局に進むのだろうけれど、頭に国士無双の四文字がチラついて離れない。
四人打ちの中で得点は最下位。親のターンはもう過ぎてしまったので起死回生は望めないと思っていたところにこの配牌である。麻雀の神様が役満を狙えと語りかけているに違いない。役満は浪漫であり夢と希望。この選択がたとえ間違いだったとしても後悔しない。
流局するかしないかの問いにいいえと答え、国士無双ロードを歩もうと不要な牌を流した次の瞬間。
「カン」
下家のプレイヤーが暗槓を宣言して場に現れたのは發4つ。国士無双ロードは瞬く間に脆くも崩れ去った。聴牌を果たしてもこの局での役満は未来永劫完成しない。虚無の塊とともに目の前を流れていく牌を見つめることしかできなかった。
『雫』(Bloodborne)
ガラス玉の瞳からほろほろと光が零れ落ちている。髪飾りを手にしながら身のうちに湧く未知の想いに驚き戸惑う人形の頬を指でそっと掬うと、光の粒はオパールのように揺らめく光を宿した石となった。優しく温かく得体の知れないそれは雫の形をしていてまるで涙のようだが、涙ではありえない。
ふと目覚めると、今まで見ていたものが掻き消えてあれは夢だったのかと寂しさに似た気持ちになった。視界に違和感を覚えて手でやると指先をひそかに濡らすものがある。泣きながら目覚めるなんて幼子でもないだろうに、一体何がそんなに悲しかったというのか。夢で幾度も見た背の高く美しい人形をふと思い出し、けれど何も覚えていられない。
カーテン越しに窓の外から月の光が漏れ出ている。月の香りが漂っているかのようだった。
『何もいらない』
ガキの頃から悪さを繰り返して親を困らせていた。親を含めた俺の周りの大人たちはろくでもないやつばかりだったのでそんなのになるのは御免だと早くに家を出た。悪さをすることしか知らないままに気づけばあのときの大人たちよりろくでもない大人になっていた。
運が良かったのは使われる立場から使う立場になれたこと。貧乏から抜け出す術を知らないやつらに貧乏から抜け出せると唆して使いたいように使ってやった。一発逆転の奇跡なんて起こらない。俺が悪さを積み重ねてろくでもなくなったように、一瞬で何かに生まれ変われるなんて虫のいい話はこの世にありはしない。
だからだろうか。媚を売り時には春を売って金を稼ぐ女たちを眩しく思っていた。ろくでもない大人が集まる街であくせく働く夜の蝶を手にしようとも思えず、手助けをしては籠から解き放っていた。自由を手にしたというのに好き好んで俺の傍に寄ってきたやつもいる。頭の悪いその女は俺に安らぎを与えてくれた。
安らぎを覚えてからは、悪さをすることに躊躇いが生まれた。部下からは腑抜けになったと囁かれる始末。苛立ちはしたが事実そうだった。どちらともを持ち続けることはできないと悟ったとき、迷いなく仕事と財産のすべてを部下に譲り渡して女とともに街を出ることを選んだ。
一瞬で何かに生まれ変われるなんて虫のいい話はこの世にありはしない。身に沁みて理解しているがために、これからのことに不安が付き纏う。
「今の俺は何も持っちゃいないが、付いてきてくれるのか」
「はい。あなたがいれば他に何もいりませんから」
「……そうかい」
けれど不安を安らぎが打ち消してくれる。
「俺もよ、お前がいれば他に何もいらねぇんだ」
「……そうですか」
互いに照れ笑いを宿して片手に少ない荷物を、もう片方に互いの手を繋いで歩いていく。行くあてもなく、けれど足取りは軽かった。
『もしも未来を見れるなら』
腕の中ですやすやと眠る我が子を見つめて思う。もしも未来を見れるなら、この子がどんな生き方をするのか見てみたい。
順当に行けば私のほうが先に人生を閉じるのだろうけれど、もしもこの子が先に逝くようなことが決まっているのなら、絶望するより先に今すべて捨て去ってしまいたい。
すくすくと成長した暁にどうしようもない悪人になるようなことが決まっているのなら、後悔するより先に今どうにかしてしまいたい。
けれども、どんな未来を見てしまっても私がこの子を捨てたりどうにかできる自信はまったくない。先のわからない未来に想いを馳せながら、この子の行く先が穏やかであってほしいとそればかりを願っている。
『無色の世界』
君がいなくなってから賑やかな街も街路を彩る草花も色を失っている。心に穴が空いているせいかテレビを見てもラジオを聞いても何もかもが響かない。
柔らかな思い出だけが色とりどりに鮮やかで、我に返る度にどうして君はいなくなってしまったのだろうと不思議な気持ちになる。
悲しみは今も目を塞ぎ続けている。君の面影を追いながらモノクロームの街を彷徨っている。