夜空を駆ける
太陽が沈めば、俺たちの世界。
月を覆い隠すほどに、流星さえも追い越すほどに、俺たちは自由になれるんだ。
赤く回るサイレンを嘲笑う。無力に発砲される銃弾に同情する。お縄につけ、だ?
誰がついてやるかよ、ばあか。
俺たちは自由だ、自由だ、自由だ!
カチッ。
どおぉ……ん。
それは一瞬の出来事だった。
ああ、ミスっちまった。仲間と顔を合わせる。
わりぃな。ここまでだ。
高価な美術品も木っ端微塵に砕け散る、玉砕覚悟の捕獲作戦。まんまと引っかかった俺たちは、自然と笑みをこぼした。
楽しかったぜ、来世でまた会おうや。
無言で、互いのこめかみに銃口を当てた。
ぱあんと弾けて、俺たちの破片は夜空を舞った。
いい気味だぜ、なあ? 俺たちは自由だ、自由だ、自由だ!!
世界の地も空も駆け回って、生きた。そう、生きていたんだ。わかるか?
今夜、お前が見上げる空を駆けるのは流れ星なんかじゃない。俺たちの血肉さ。
あなたは誰
わたしは寿ん。「ことぶきん」じゃなくて、「じゅん」と読みます。
……呼び方?どう呼んでもらっても構いませんよ。なんなら、「ことぶきん」でも別にいいんです。
こだわりは特にありません。
あなたに呼んでいただけること、それが嬉しいだけなのです。
君の声がする
「好きになってごめんね」
別れ際、君はそう言って笑った。
俺にはわからない何かが、きっと君の心にあったんだろう。
「−−−あの、さ」
思わず引き止めてしまったのは、たぶん、そういうことだ。
「ごめん。……ありがとな」
君はちょっと目を丸くして、それからみずみずしい目を細めて
「ん」
とだけ頷いた。秋の風がふたりのあいだを吹き抜けていった。
君はまた前を向いて歩き出す。その背中が震えるのを見てられなくて、俺もまた早々に背を向けた。
少し歩いて、君の声がした気がした。振り返ると、君の姿はもうなかった。
俺は前を向く。君がそうしたように。
そして、もうじき背中を震わせて声を押し殺して泣くのだろう。君が、決して俺に見せなかった姿を。
もう君の声はきこえない。
そっと伝えたい
何の言葉もいらないくらい、あなたと通じ合っていたならどれほど。
偶然、駅で鉢合わせして、私の胸がどんと揺れて。あなたは「うお、また会ったなあ」とかにこにこ笑って。
もしも今日、これを渡してしまったなら。そうしたら流石に気づくのかな。それとも、もう本当は気づいているのかな。
嫌んなる。あなたのなかに私がいないことくらい、とっくに知ってるのよバカ。
他のより丁寧にリボンを巻いたチョコレートに、あなたは気づいてしまうかもしれないのなら。
やめた。
いつか伝えるなら、それはそっと風に背中を押される日がいい。ふんわりと伝わるときがいい。
あなたと「偶然」出会える電車を見送って、私はリボンをほどいた。きれいに結んだ心もほどいてしまいたかった。
「甘い」
チョコレートの甘さは、あなたも私も癒すことは、きっと出来ないのね。
やさしくしないで
『あたしのこと、大事にしてね』
ちゃんと出来ていたかな。
『優しくしてくんなきゃ嫌いになっちゃう』
もう嫌いになっちゃったかな。
『あなたはいつも、優しいよ』
そんなことなかったんじゃ、ないかな。
左頬のあざに触れないように服を脱いだ。傷だらけの身体を見たくなくて、風呂場の電気は消したままシャワーを浴びる。
痛い。
『ごめんなさい』
痛い。
『ごめんなさい、悪いのはあたしです』
イタイ。
『ごめ、なさ……やめ、もう、ごめんなさ……』
痛い。
『痛いですごめんなさいごめんなさいごめんなさい……』
これはさすがに、マスクをしても隠せないな。しばらくは外に出るのもやめておこう。
左頬を撫でる。どうして、こんなに痛むの。
あなたはもう帰ってこない、そんな気がする。
ベッドルームを覗いてみると、シーツも布団もぐちゃぐちゃのままだった。ああ、初めて叩かれたのはこの部屋。
キッチンのシンクには食器がいくつか残っている。包丁を持って脅されたときは、死を覚悟したっけな。
リビングのソファは、いまだに座れない。前にそこで寝ちゃってたら、帰ってきたあなたに引きずり下ろされたから。
お風呂場も、あなたが家にいるときに入るのは避けていた。洗濯機に閉じこめられたら死んじゃうもの。
髪の毛を掴まれてベランダから半身を出されて、やっと目が覚めた。
あなたは、優しい人じゃない。
優しくしてくんなきゃ嫌いになっちゃう。
あたしは確か、そう言った。あたし、嘘を吐いちゃったのね。あなたは嘘が嫌いだから、だからお仕置きをしたの、そうでしょ?
あなたは優しくなかった。あたしを抱いて、殴って、キスして、捨てた。
あたし以外の子になら、柔らかなキスをするんだろうか。今ごろは新しい人と一緒に微笑みあっているの? それとも笑っているのはあなただけで、相手の子はあたしみたいに泣いてばっかりいるのかしら。
それなら戻ってきて。
あなたは優しいよ、いつも。
そんなことなかったね。
あたしだけ、じゃないかな、あなたを抱きしめてあげられるのは。
ときどきしてくれたキスも、熱い目も、引っ叩いた10秒後の愛撫も。忘れられないの。
やさしくしないで、いいよ。
あたしだけのものになってよ。
あなたはもう帰ってこない、そんな気がするの。