やさしくしないで
『あたしのこと、大事にしてね』
ちゃんと出来ていたかな。
『優しくしてくんなきゃ嫌いになっちゃう』
もう嫌いになっちゃったかな。
『あなたはいつも、優しいよ』
そんなことなかったんじゃ、ないかな。
左頬のあざに触れないように服を脱いだ。傷だらけの身体を見たくなくて、風呂場の電気は消したままシャワーを浴びる。
痛い。
『ごめんなさい』
痛い。
『ごめんなさい、悪いのはあたしです』
イタイ。
『ごめ、なさ……やめ、もう、ごめんなさ……』
痛い。
『痛いですごめんなさいごめんなさいごめんなさい……』
これはさすがに、マスクをしても隠せないな。しばらくは外に出るのもやめておこう。
左頬を撫でる。どうして、こんなに痛むの。
あなたはもう帰ってこない、そんな気がする。
ベッドルームを覗いてみると、シーツも布団もぐちゃぐちゃのままだった。ああ、初めて叩かれたのはこの部屋。
キッチンのシンクには食器がいくつか残っている。包丁を持って脅されたときは、死を覚悟したっけな。
リビングのソファは、いまだに座れない。前にそこで寝ちゃってたら、帰ってきたあなたに引きずり下ろされたから。
お風呂場も、あなたが家にいるときに入るのは避けていた。洗濯機に閉じこめられたら死んじゃうもの。
髪の毛を掴まれてベランダから半身を出されて、やっと目が覚めた。
あなたは、優しい人じゃない。
優しくしてくんなきゃ嫌いになっちゃう。
あたしは確か、そう言った。あたし、嘘を吐いちゃったのね。あなたは嘘が嫌いだから、だからお仕置きをしたの、そうでしょ?
あなたは優しくなかった。あたしを抱いて、殴って、キスして、捨てた。
あたし以外の子になら、柔らかなキスをするんだろうか。今ごろは新しい人と一緒に微笑みあっているの? それとも笑っているのはあなただけで、相手の子はあたしみたいに泣いてばっかりいるのかしら。
それなら戻ってきて。
あなたは優しいよ、いつも。
そんなことなかったね。
あたしだけ、じゃないかな、あなたを抱きしめてあげられるのは。
ときどきしてくれたキスも、熱い目も、引っ叩いた10秒後の愛撫も。忘れられないの。
やさしくしないで、いいよ。
あたしだけのものになってよ。
あなたはもう帰ってこない、そんな気がするの。
2/4/2025, 8:02:23 AM