…年をとると人は下を向いて歩くようになる。幼い頃は上を、若い頃は前を、年齢を重ねると下を…。
“「いつか分かる時が来るのよ」
なんて、ふふふ、と笑う祖母に
「ええー」
と、無邪気に不満の声をあげていた。”
その言葉が分かるようになったのはあれから10数年たった頃。その時には既に祖母とは言葉を交わすことは出来なくなった後のこと…。
そして、気付いたら下を向けるのになかなか上は向けないことも分かってきた。
「ねえねえ、あれなあに?」
無邪気な声。さほど大きな声ではないのによく響く。
「え?」
自分に向けられたものではないのにその声の主にふと注意が集まる。本人は気にする様子はない。
「あれはねえ、渡り鳥よ。遠くのお国まで飛んでいくの。」
お母さんだとおもわれる女性がこたえる。
正直、鳥に詳しくない私にはなんの鳥かは分からない。
「そっかあ、頑張ってるんだね!」
と、言ってその子は走り出した。
「あらあら」
どこからか、聞こえてくる笑い声。その声と、一緒に微笑みながら、私も渡り鳥の飛んでいる方向をしばらく見つめると、ばしっと頬をたたき、気合いを入れ直し、前を向き、歩き出す。もちろん、鳥のようにとはいかないけど、私らしく歩いて行こうー
「じゃあね!」
いつもと同じ帰り道、友人と別れ、一人家を目指す。
“さよなら”
突然くるんじゃないかな…。毎日言繰り返すさよなら、またねのどこかにあるんだと思う。
たとえば、繰り返していくうちに忘れていくさみしさでも、いつかいえるようになりたい
“ありがとう、さようなら”
ってね
夜の海、そこはあまりに寂しい。頼る明かりも人もいない。ただ、打ち寄せる波の音がするばかり…。
「はあ…」
私は何かを言うこともなく、ただ何度目かになるため息をつく。
私は夜の海が好きな質だ。身の丈に合っていると思う。真夏の昼、あのあつくて眩しい世界に私は存在しない。かといって、研ぎ澄まされた刃物のような鋭さもない。どっちつかずで中途半端な存在…。
それが紛れもない自分。
だから、ただなにも考えず、誰の目につかないように心をしずめたくて時々、夜の砂浜を歩く…。
“ピー”
鋭く、どこか寂しい音がしてふと、顔を挙げた。すると、そこには優しく静かに夜の海を照らす月を見つけた。
(ああ、そうか)
と、唐突に感じた。
「別にどちらかになる必要なんてないや」
なぜか、泣きたいような気持ちになって久しぶりに声を出して笑いながら砂浜を走りぬけるー。