4/14/2025, 10:20:08 AM
人生において、私は不安を取り除こうとせず、かといって取り除かない事もせず、どうにか良い塩梅を維持しようと常に奮闘している。それというのも、私にとっての未来図というのは不安の象徴であり、その不安が喪失してしまうというのは、行動の意義すら喪失してしまう事と同義だからだ。不安のない未来とは神の御室を清掃するようなもので、ましてや確定した未来など、至極の未知でしかない。私達が行動を起こすのは、払拭すべき何かと相対した時に限られる。
4/13/2025, 2:25:41 PM
信心に飽き飽きした末に取り残されるひとひらの希望というのは、私達の親しいところではなく、意外にも何ら関わり合いのない有象無象から齎される事が多い。普段とほんの少しだけ散歩道を違える事だ。道端の鳩の拒否反応から、存在非存在の議論は始まる。
4/12/2025, 12:01:17 PM
子供の頃歩いた街には、高い石塀に阻まれた未踏の風景というのがよくあった。大人になってみるとなんてことのない、その正体は墓地であったと知る。これはよくある話である。
この時、ある種の幻想が破綻する事態を、成長と取るか、はたまた一人の男の終幕と取るか⸺。
それは取るに足らない、何とも些末な空気の震揺に依存するのだが、これもまた、よくある話である。
4/11/2025, 4:07:02 PM
私が理想と本心の間で身動きが取れず、思弁すら起こせない状態でいると、君は私を怠惰と呼ぶ。
さて、自己に向き合い呻吟する私と、ただのうのうと生命を盲信する君と、一体どちらが怠惰であろうか。
勿論、私の方だ。
4/9/2025, 9:59:06 AM
人間が、不可能である筈の若返りを成就する場合というのが、一つだけ存在する。遠い約束の達成⸺この瞬間だけ、私達は少年にも青年にも戻る事が出来る。