メンタリストダイ子

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4/13/2025, 2:25:41 PM

信心に飽き飽きした末に取り残されるひとひらの希望というのは、私達の親しいところではなく、意外にも何ら関わり合いのない有象無象から齎される事が多い。普段とほんの少しだけ散歩道を違える事だ。道端の鳩の拒否反応から、存在非存在の議論は始まる。

4/12/2025, 12:01:17 PM

子供の頃歩いた街には、高い石塀に阻まれた未踏の風景というのがよくあった。大人になってみるとなんてことのない、その正体は墓地であったと知る。これはよくある話である。

この時、ある種の幻想が破綻する事態を、成長と取るか、はたまた一人の男の終幕と取るか⸺。

それは取るに足らない、何とも些末な空気の震揺に依存するのだが、これもまた、よくある話である。

4/11/2025, 4:07:02 PM

私が理想と本心の間で身動きが取れず、思弁すら起こせない状態でいると、君は私を怠惰と呼ぶ。
さて、自己に向き合い呻吟する私と、ただのうのうと生命を盲信する君と、一体どちらが怠惰であろうか。

勿論、私の方だ。

4/9/2025, 9:59:06 AM

人間が、不可能である筈の若返りを成就する場合というのが、一つだけ存在する。遠い約束の達成⸺この瞬間だけ、私達は少年にも青年にも戻る事が出来る。

4/8/2025, 9:15:19 AM

私の葬式が行われる時には、供えられる花は一本の菊で十分だ。孤独から生まれた夥しい思弁を、その花弁により演出する事が出来るのならば、十分だ。

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