自殺の阻止は殺害の予約に他ならない。
無気力の怪物に身を曝した時の、あの心のざわめきこそを信じるべきだ。
さもなくば、救世主は殺人者へと栄達するだろう。
「貴方だけを探して今日まで生きてきたのです」
夜空の下での常套句。
初恋の相手とは往々にして不埒なものだが⸺私の場合、これは母の腹の中で聞いた台詞である。
恋路はどうか? この有様だ!
意識せずに、意識しない事もせずに⸺仏教、禅の経典や教書にはしばしばこのような意味合いの文言が書かれている。
生きずに、生きていない事もせずに⸺⸺。
生まれながらの胎児!
幸い、私には仏教の心得が生来身に付いているのである。
正に、透明という実体。
雪で覆われた山道を一人の老人が杖を頼りに歩いている。
⸺ここまでだろうか。
老人は独りごち、旅の終わりを予感した。
壊れかけの杖を崖下へ放り投げようと萎れた腕を振り上げた時、その姿を見た行きずりの旅人が、老人の空っぽの背を見つめて言った。
⸺老人よ。諦めるとは全てを捨て去る事ではなく、朽ち果てた荷物を抱えたまま、旅路を進める覚悟の事である。
それを聞いた老人は、自身の荷物の少なさを嘆き、手放しかけた杖を握りしめ、張り裂けんばかりの大風呂敷を曳いて歩く旅人に尋ねた。
⸺尊公は一体、何処まで行くつもりか。
旅人は答えた。
⸺無論、果てまでである。
直後、旅人は大荷物に軸を奪われ、崖底へと滑落した。
蒙昧な幸福を望むか、崇高な不幸を望むか。
雪道に刻まれた轍に、薄汚れた緑が覗いた。
早朝、海洋に湛えられた光点は星々の安らぎであり、この世の無常をも意味する。
これ程までに健気な繋がりが他に存在するだろうか?
物憂げな星々はやがて水面の蒸発と共に天に昇り、そしてまた海洋を漂うのだ。
人間はどうだ? 同じ目線、同じ土、同じ身体⸺。
この平行線が一体何を生んだ?
目の前に在るもので、人類の休息地たるものが本当に存在するだろうか?
畢竟、現世での安息地とは、凡そ縦の軸に存在する。
そして皮肉にも、我々にとっての天地とは、どちらも無を意味する。