土が滲みた軍手につっと止まるはモンシロチョウ。
白地に2つ並んだ黒い紋様が、ちょっとハートみたいだ。
そこに蜜はないぞと笑いかけても、通じていないのか飛び立たない。
ときにこれは本当にモンシロチョウだろうか。
やあそこの昆虫博士、ちょいと教えてくれないかい。
土から引っ張り出したミミズと戯れる我が家の小さな虫博士に寄っていく。
チョウが飛んでいかないように、そおっと。
一人呟いた君の名が、風に乗って届けばいい。遠くで生きる君が折れそうなときに、思い出せるように。
生まれたから生きている。
死ぬ理由がないから生きている。
ただ、それだけ。
昔は、誰にでも運命的な出会いで何かしら生きる意味が見つかるものだと思っていた。例えば人を救うとか、何かを発明するとか、子を育てるとか。
そんなことは毛ほどもなくて、食べるために生きて、食べるために働いて、成長も、継承もせず、目の前のことで頭がいっぱい。
周りの誰もが何かを成しているのに、自分だけ何もできなくて、世界に何も益を生んでいない、そんな気がして、黒いものが心に纏わりつく。
流れ流れた先で天職に辿り着けるとか、出会った人と家族になるとか、もう今更考えていないけど、時々、生きる理由ってないなぁなんて思う。
今日の夕飯。明日のドラマ。週末の約束。小さな「生きる理由」を積み重ねて、死ぬまで生きるだけ。それで、いいと思う。少なくとも、今の私は。
嗚呼。今日は上手に卵が焼けた。
これだけで、生きている。
合格を「桜咲く」と言ったりするけれど、なら不合格は何と言うのだろう。「桜散る」? 咲いてもいないのに?
黄色い声を上げて抱き合う集団や、その場に崩れ落ちる女子、両腕を天に伸ばし吠える男子。そんな集団を前に、どうでもいいことを考えた。自分の桜が咲かなかったことなど他人事のように。3月の風はまだ、冬みたいに冷たいのに、花びらだけは春みたいに舞っていた。
4月、既に葉が混じった桜の下を、まだ身体に馴染まない制服を着て歩く。滑り止めといえど、入ってしまえば中学とは違う環境や今までより難しい勉強についていくのがやっとで、志望順位なんて忘れてしまいそうだった。
「その高校で1番になりなさい」
受験でお世話になった塾の先生は言う。もっと偏差値の高い高校を狙っていたのだから、滑り止めの学校で1番になれるはずって。その理屈には納得しそうだったけど、たぶん周りも同じような考えで、私の成績は結局ず〜っと真ん中あたりをウロウロしていた。
そこから10年。高校で出会った親友とは、今でも毎年旅行に行く仲だ。彼女のテスト勉強を3年間手伝わされた経験から、気づけば私は教職に進んでいた。たぶん、ここで彼女に出会わなければそうはなっていない。
思えば桜が散ったところから、私の物語は始まった。あの頃の私みたいな、馴染んでいない制服を着たふわふわした顔の新入生が、今日からまたやって来る。
今では違う花が大きく咲いている。
喉の奥が詰まるようで、胸の真ん中のざわつきは、言葉にならずに腹の底に溜まっていく。そのうちパンパンに膨れ上がって、破裂してしまうのではないか。