小さな新じゃがいもはよく洗って、皮のまま。
春キャベツはビリビリ手で千切る。
お湯を沸かして、野菜を投入。
鶏ガラの素とお醤油も足す。
じっくりと、キャベツがくたくたになるまで待つ。
最後にごま油もひとたらし。
ほっとひと息のスープの出来上がり。
新玉ねぎの皮を剥き、ザクザクくし切りに。
アスパラをぐらぐら茹でて、食べやすく切る。
ベーコンはコロコロ分厚い方が好み。
ついでにパプリカも入れちゃおう。
オリーブオイルで炒めたら、塩と胡椒でシンプルに。
野菜の甘さが引き立つ。
絹さやの筋とヘタを取る。
ささみはササっと一口大に。
ぐらぐら茹だる鍋で火を通す。
ザルに上げると、つやつやぷりんと良いお色。
卵とお塩をボウルでシャカシャカ。
フライパンにサラダ油を敷いたら炒めて混ぜて、
半熟のうちに、いただきます。
春、満喫。
あの人の走りはまるで風だった。雲を払い、地に光を与える力強い風。けれどその風はどうしてか、いつも辛そうに眉を歪めて走る。
あの人は毎日誰よりも早くグラウンドに来て、走っている。辛そうに眉を歪めて。
グラウンドから教室に戻っても、電子端末を見つめ、眉間にしわを寄せている。クラスメイトたちが話しかけるのを躊躇っているけど、本人はそんなことよりも端末の中のニュースに夢中だ。
『天才少年、男子高校生新記録!』
踊る文字は彼が走っても走っても追いつけない選手だった。
誰よりも速くて、誰よりも努力している彼は、もっとずっと速い天才に、勝とうとして歯を食いしばる。今も、頭を振って、椅子に座って脛のトレーニングを始めた。教室の片隅で自分と、あの天才と、戦っていた。
僕にとっては、彼の走りが誰よりもずっと綺麗で速いのに。
どうか君が、またあの頃のように誰よりもずっと走るのが好きでたまらないって顔で走ってくれたらと、小さく祈る。
「でも、『これからも、ずっと』なんて、約束は出来ない」
私の告白を承諾したあと、彼はそう言った。メガネの奥から揺らぎもしない瞳で真っ直ぐ私を
見つめながら。
「今、僕は神田さんのことは悪しからず思ってる。正直告白されて嬉しい……と思う。でも知らないことばっかりだ。知っていく中で手放したくないくらい好きになるかもしれないし、逆に許せないくらい嫌いになるかもしれない。それは君の方も同じだ。僕を好きだと言ってくれるのは、今だけかもしれない。お互いに変わっていくものだから、『ずっと』なんて約束は僕には出来ないよ」
随分と慎重に予防線を張る彼を、面倒くさい人だなと思った。結婚や駆け落ちを頼んだわけじゃない。ただ交際を申し込んだだけで、永遠を誓ってほしいなんて私も思っていない。けれど、惚れた弱みと言うべきかそんなところも好きだなんて舞い上がって、深く考えずに答えた。
「それでも、今の米原くんが受けてもいいと思ってくれるなら、私は構わない。お付き合い、してくれますか?」
米原くんと出会ったのは、大学の教養の授業。全然違う学部なのに、なぜかどの講義でもいて、自然と顔を覚えてしまった。専門と関係ない先生の話を熱心に書きとめながら聴いているところが、なんだか目についた。
風邪で講義を休んだ翌週、初めて彼と話した。いつもいるのにいなかったから、と言って、私の分のノートのコピーをぶっきらぼうに渡してくれた。
それから、先生よりも彼を見ている時間の方が長い日があることに気づいた。
年次が上がれば専門が違う彼とは会う機会もなくなってしまう。そう焦って、期末の試験のあとに呼び止めた。付き合ってくれませんかって。
大学の近くのカフェでお茶をしたり、図書館に行ったり、たったそれだけのことが、彼と一緒だと大切な思い出になった。
好奇心旺盛な彼は見かけによらずアウトドアもドライブもミュージアムもコンサートもなんでも楽しめる人だった。私の好きなことにも付き合ってくれるし、彼の好きなことは新鮮で面白かった。飽きっぽいだけだよ、なんて彼はそう言うけれど。
「今日はまだ、僕のこと好き?」
時々彼はそう尋ねた。
「好きだよ。裕太くんは?」
「……うん。好きだよ」
あの告白の日から何年が経っただろう。あの頃のように舞い上がった気持ちはなくなったけど、彼の隣は穏やかで心地よくて、離れがたい場所になっていた。
後輩の企画を一緒に仕上げていたら、待ち合わせより30分遅れてしまった。けれど彼はいつもの店のいつもの席で待っていて、いつも通り優しかった。
けれど、食事が落ち着いた頃に切り出された言葉は、全然いつも通りではなかった。
「歩美さん、僕とこれからも一緒にいてくれませんか」
彼の手の中に収まる小さなリングケースは空っぽだった。サイズやデザインを私に任せてくれるということか。つくづく彼らしい慎重さだ。
メガネの奥の彼の瞳は熱っぽく揺れていて、じっと結ばれて返事を待つ唇は震えている。
「裕太くん」
「はい」
「『これからも、ずっと』とは、私には約束は出来ない」
彼は目を見開く。
「一緒に暮らしたことがないから、沢山合わないことや許せないことが出てくるだろうし、まだ知らない互いの家族ともきっと、上手くやれない時もある。貴方は朝が弱くて綺麗好きで、私は早起きだけど片付けが苦手だし、ほかにもたぶん、毎日信じられないことばかりだと思うんだ。子どもとか、仕事とか、一人で決められないことが増えていったら、また合わないことが沢山あるんだろうな」
私はあの時の彼以上に、思いつく限りの予防線を張る。じっと唇を結んだまま、彼は聞いていた。
「それでも、一緒にいたいと思う『今日』を積み重ねてくれますか?」
目一杯懸念を並べて、最後にそう答えた。質問に質問で返してしまったや。
「努力します」
「ふふっ。勿論って言ってくれないところが、貴方らしいなあ」