24. ススキ
月曜日、文化の日の振替休日に山とも呼べない森を不慣れながらも歩いてきた。眺望の良い場所に出たときに、ふと、見渡せる景色よりも目の前で揺れるすすきへ注意が移った。今年は秋という秋を感じなかったものだから、感激してしまったのだ。やってみないと気づかない豊かさがあるのだなと思いながら、深みを目指して再び歩き出した。
23. 脳裏
身体はこれ程にちっぽけな存在だというのに、脳裏はどこまでも続いていく気がする。知覚できる範囲や感情の生じる範囲、想像や表現できる範囲にも。そしてこれからも広がったり形を変えたりするのだろう。
22. 意味がないこと
意味がないほうが気楽だ。この文章も然り、意味はないままに書いている。もし意味があるものであれば、どのみち後から付いてくるだろう。
意味がなくてもやってみれば骨格が現れる。忘れた頃にふと思い出したら甘い綿が付いているかもしれない。そんな無責任な期待に任せて、綿菓子の木の棒携えて歩き回っている。
21. 一筋の光
高揚の中一呼吸すると、口角を上げ胸を張って歩き出す。あたたかな光と期待に包まれ一礼すると、静寂と暗がりが訪れる。一条の光がこちらを照らす。見渡す限りの視線が静かに一点に刺さる。ずっと恐れていた、しかし夢に見た瞬間。頭の中で一音目を鳴らす。さあ、始めよう。
20. 眠りにつく前に
ここ一ヶ月以上、Balanceってアプリで睡眠向けの瞑想?みたいなやつをやりながら寝ている。寝付きがだいぶ良くなった。しかし日本語対応していないのが難点。英語のリスニングの練習だと思って耐えている。
今までを振り返って、寝付きが一番悪かったのは小3小4の頃だった。いつも体調が悪いのにエネルギーは有り余っているのか中々寝れなかった。
障子を開けて月を見ていた。月明かりが部屋に差してくるのが綺麗だった。雲に隠れて時々光が零れるのも面白かった。
幼少の頃、それこそ4歳くらいまで寝るときに親がドビュッシーの月の光を流していたから、それを思い出しながら一応目を瞑ったり諦めて外を見たりを繰り返す。そうしていると、かなりの速度で月が動いてしまう。東の空にあったのがもう沈もうとしているなんてこともままあった。眠れない罪悪感もあった。しかし、本当にこの星は回っているんだとか、星の浮かぶ空も平面ではなくて奥行きがある空間を眺めているんだとか面白がって紛らわせていた。
ところで、月への親近感は小さい頃のお気に入りの絵本『おつきさまこんばんは』の影響だろう。もう捨てられたが、やっぱり一番好きな絵本だ。
もう捨てられたシリーズでいえばらば、5歳まではキティのぬいぐるみを抱えていないと眠れなかった。今ではなぜそれでないといけなかったのか全く分からないが、一人では心細かったのだろう。
何の話していたのか分からなくなってきたので今日はこの辺で終わりたい。明日からは週休1日勢にとって久々の2連休が始まるので存分に楽しみたい。