14. 言葉はいらない、ただ・・・
言葉はいるだろう、なかったら何も言えないどころか何もわからないのにと思った。それから言葉って何?と気になって調べた。定義は難しそうだったが、面白いことがわかった。正しいかどうかは別として話半分で聞いてほしい。
「ことば」の語源は「言」「端」らしい。
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もともと言(こと)が現在の「ことば」と同じ意味を持っていて、古語の「ことば」は口先だけの表現、言語のはしくれ、という意味合いで使われていた。
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つまり、「言葉はいらない」と言うとき、割と古風な意味合いで「言葉」を使っていそうだ。
となれば、「言葉がいらない」場面は多そうだ。口先で言うよりも心から思えとか、行動で示せとか。
何となく謝罪、クレーム対応、恋愛の3つが浮かんだ。
はじめの2つはどちらも相手から責め立てられている点で似ている。
ただ最後のは責められているとは……そういう場面でもあるかもしれない。しかし余裕のある状況でも言えそうな台詞だ。
3つの共通点を挙げるなら、まだ相手に満足していないということか。やはり人は不満があると声ががデカくなってしまいそうだ。
13. 私の日記帳
何かしらの取り組みを継続するのが苦手だ。日記もそうだし、勿論このアプリも。
しかし、このお題のおかげで思い出した。今日は日記を書かなくてはならない。特別なことがあったときだけ書けばいいルールで辛うじて付け続けている日記のアプリがあった。
今日は指定校推薦の校内選考合格日だ。
12. いつまでも捨てられないもの
捨てる捨てないの基準は難しい。
過去一年間使わなかったものは捨てると決めたとする。それでもやはり捨てたくないものがゴミの山に見えていたものからちょくちょく顔を出す。
ここで例外を与えるとルールを作った意味がなくなる。しかしここで捨てたらこれを見て想起する人や風景ごと捨ててしまう気がする。思い出すことがなくなってしまうのが怖い。
これを見る機会は二、三年の周期程しかないのだから捨てても同じだという声が聞こえる。すると今度はたったそれだけでも定期的に思い出してきたのは事実だと言う反論が聞こえる。
書いていて気づいたが、まるで人生の一部を失うみたいな気持ちになってしまうのだろう。今までのことを(悪い記憶は除いても)なるだけ覚えておきたいという傲慢が根底にある。
もう一人は訴える。覚えていて何になるのかと。今実際何かになっているのか。その確かめようがないから困ってしまう。それは自分を形作ることに参加しているような気もするが、無くなったとして自分が崩壊するとも感じられない。
単に「これからこちらを失いますよ」とわざわざ注目するから惜しく思えるだけなのかもしれない。知らない内に捨てられていたとして、気付ける自信はないが気付いたら寂しくなる都合の良さは不相変なのだ。
物を手放すときが来るとしたら、恐怖や傲慢、都合が良いだけの自分自身の問題とケリをつけたときになりそうだ。皆さんはどう乗り越えているのだろう。気になるが、結局自分で辿り着かないと納得できない性分だ。全く面倒臭いな。
11. 君の奏でる音楽
友達が時々弾き語りの配信をしていて、見れるときは毎回見ている。もちろん聴いていて楽しい。
しかし、目の前で歌ってくれた日からは楽しいだけじゃなくなった。目の前にいればなあ、なんて贅沢が頭を過って勝手に寂しくなる。
ネット上の配信者とリスナーでは満足できなくなってきている。
久しく会えていないし、友達として会いたい。
夏休みが長すぎるから?いや、LINEの一つも送れない自分のせいだ。
ある一定の所まで仲良くなった後の難所。
ここがどうも苦手で、今までも何人も離れていった、というより離れさせてしまった。
しかし、今回は何が何でもここを越えたいと、初めて思った。
本当の友達なんていうと嘘臭いが、この人となら腹割って話せそうな気がする。
しかしこれってあくまで俺の都合であって、相手がどう思ってるのかなぞ分からないんだよな。もしかしたら離れたいのかも知れないし
人との付き合いは難しい。
それに己のコミュ力の低さや勇気の無さに向き合うのも難しい。
情けない奴だよ。でも情けないなりに出来ることはやってみる。
あなたの奏でる音楽にちゃんと向き合いたいから。
10. 最初から決まってた
人生なんて最初から
決まっていると信じたい
後悔せずに暮らせるからね
ただし未来までもが鮮烈に
見えてしまうのはご遠慮さ
どこでやめても同じだからね
曇った硝子では向こうが見えず
まだ待ってみてもいい気がして
息をゆるしている
今をゆるしている