【これからも、ずっと】
晴香が邪魔をしに来るようになってから私の読書ペースは半減した。
電車の中くらいでしか、本を読むことができない。
流石に家までは追ってこないだろう。
そう、思っていたのに。
「ここが小雨ちゃんの家か〜」
なぜ。
「なんでいるの!?」
ここまで一度も会わなかったのに。
いたずらっぽい、いや、悪戯そのものの笑みで、彼女は言う。
「これからもずっと、私は小雨ちゃんの邪魔をするよ」
冗談みたいに軽い、でも、妙に現実味のある声。
きっとこの子は、本当にそうするのだろう。
玄関の前で騒ぐのも面倒で、私はため息をついた。
「……少しだけだからね」
そう言って、扉を開けてしまった。
【君の目を見つめると】
「こ〜さ〜めちゃんっ」
本を読む小雨ちゃんの背中に、私は抱きついた。
休み時間のたびに、こうして小雨ちゃんを感じに行く。
「ちょっと晴香、また来たの…」
一見すると冷たい反応。でも、振り払いはしない。
最初の頃は嫌そうにしてたけど、今では諦めて、本をすぐ閉じるようになった。
そうしていつも、小雨ちゃんの前に出ては、瞳を見つめる。
きちんと整えられていて、硬く自分を覆っている。
でもどこか薄くて、空気が漏れてる。
「えへへ…」
私は何をするでもなく、小雨ちゃんと一緒にいる。
貴女の眼を見ていると、たまらなくそこを、つつきたくなるのだ。
【星空の下で】
夏の夜はいい。
人が生きるには過酷な昼間と違い、適度な涼しさが心地良い。
夜の景色も好きだ。
高い山の上から見るような、派手な夜景でなくとも、スポットライトのような小さな街路灯のある風景が好きだ。
そう、この公園のように。
「〇〇…?」
お気に入りのベンチには、彼女が座っている。
ダル絡みする普段の彼女とは打って変わって、ぼうっと、星空を見つめていた。
虚空を見つめるような、あるいは、見えないものを探している瞳で、星空を見上げていた。
街路灯に照らされた彼女は、どこか現実から浮いて見えた。
ふと、彼女がこちらを振り向く。
振り向いた彼女の瞳は、空洞のように、生気を感じられなかった。
「あ、☓☓〜。いたんだ?」
次の瞬間、その空洞はふっと消え、見慣れた笑顔が貼り付いた。
「う、うん。こんな時間に会うなんて、奇遇だね?この公園、よく来るの?」
見てはいけないものを見てしまったような、ぎこちない笑顔で私は応える。
「ううん。ただの気まぐれ。やだな〜、幽霊でも見たみたいじゃん」
誤魔化している様子はない。いつもの〇〇だ。
「ベテルギウスってもうなくなっちゃったんだって」
「え…?」
ベテルギウスがもうない星、という話は有名だけど。
__オリオン座は、冬の星座だ。
「それじゃ、また明日ね」
戸惑う私を置いて、彼女は夜闇に消えていく。
いつもは向こうからやってくる背中が、やけに遠く見えた。
【それでいい】
放課後の中庭。
真ん中に鎮座する大きな木の下にあるベンチで、読みかけの本を開く。
入学して以来、図書室ですら得られない孤独で要られるこの場所が、私のお気に入りだ。雨が降らない限りは、ここで本を読む。校舎と木の陰に隠れて涼しく、静かでいられる。
今日も一人、ここへ来ては、本を読む。
私の神聖なルーティーンだ。
しかし、今日はどうにも集中できない。
何か、妙な視線を感じてしまう。
教室や電車でも普通に本は読めるし、本の世界に降りる私が誰かからの視線を受けることも珍しくはない。
ないのに、だ。
何故か、集中できない。
視線、というより。
私の他に“何かがいる”ような、落ち着かなさ。
こんな場所に、誰かいるはずがない。
「いるんでしょ。出てきなさい」
人気のない静かな中庭に、私の声が木霊する。
静寂。
(気のせいだった…?)
仕方なく再び本を開こうとする。
が、
「えへへ、バレちゃった」
声が降りてきた。
顔を上げると彼女が枝に座り、私を見下ろしていた。
スカートから覗く白に気付き、私は慌てて目を逸らす。
「落ちても助けないわよ」
「だいじょうぶだいじょうぶ」
ニコニコ笑顔で彼女は飛び降りる。
猫のように、綺麗な着地。
この高さから降りるのが、怖くはないのだろうか。
「つかまえたー」
そんな私の心配を知って知らずか、彼女は私を抱きしめる。
「ちょっと、やめてって…」
振り払おうとした私の横目に映る彼女は、穏やかな顔だった。
今日もまた、満足に本が読めない。
それでもいいか、と彼女の小さな背中を、片腕で包み込むのだった。
【一つだけ】
放課後の中庭。
この時間になると、学校には部活や委員会で残る人くらいで、校舎の真ん中で薄暗いこの場所に人はいない。
静かな空間で、創立当時からあるとされる大きな木の下で本を読むのが、私の密かな楽しみだ。
そんな時間も最近、侵食されつつある。
「ドーナツ買ってきたんだ」
ニコニコ笑顔でドーナツの紙袋を抱えた彼女である。
紙袋の中には、5種類のドーナツが詰められていた。
教室でもやたらつきまとう彼女だが、2日前、うっかりここに来るところを見られてしまった。昨日までは来なかったから、大丈夫だと安心していた自分が甘さを恨む。
その上、
「どれがいい?」
と、きたものだ。
小さな口でイチゴドーナツをかじる彼女は、私が一緒にドーナツを食べるものと信じている。
「じゃあ一つだけね。好きなもの出して」
いつも通り、少し譲歩して、私はあしらうことにする。
「一つだけね。はい、あーん」
言いながら彼女はドーナツを差し出す。
ドーナツを一つ貰うだけで何も損はしない。
本に目を落としたまま、黙って私は口を開ける。
ぱく。口いっぱいに、砂糖の甘みと、甘酸っぱいイチゴ味が広がる。不本意だが、久々にドーナツを口にして、私の口は幸せに喜んだ。
ん?イチゴ味…?
「あんたこれまさか!?」
「えへへ、美味しかった? "私の"イチゴ味」
イチゴドーナツには、二人分の歯型が、重なるようについていた。
またしてやられた。
気持ち悪い。そう思ったはずなのに。
口の中に残った甘さが、やけに消えなかった。
私は本を閉じると、もう一口だけ齧った。