赤い糸。
”運命の赤い糸”なんてよく言うけど、それって何?
”運命”って、何?
決められてるのだろうか。
とあるゲームでとあるキャラクターが言っていた。
”たとえば、己の一生がすべて定められているとしたらどうだろう”と。
まぁ、そんなこと我らには知る由もないことだ。
もし、本当にこの世に神がいるのだとしたら、その神がこの世界のことについて決めているのだとしたら。
なんて、これは私の戯言だ。
そのゲームに影響を受けすぎた私の戯言。
だから、戯言としてこの後の話を聞いてほしい。
私はよく考える。
もし、”すべてが定められているのだとしたら”と。
もし、この世の出来事すべてが定められているとしたら、惨劇も喜劇も何もかも、何者かが定めたシナリオ通りに起こり、影響を及ぼしているのだとしたら?
答えの出るはずもない問い。
だが、考えれば面白い。
考えたことの無い者へ。
考えてみてはどうだろうか。
発想力が鍛えられる。
物事の見方が変わる。
おっと、この辺にしておこうか。
では、また次のお題でな。
『夏』
夏といえば何だろう。
海、向日葵、西瓜、蝉、かき氷。
たくさんある。
でも、私が思い浮かべるのは”肝試し”。
そう、これはある夏の夜に”肝試し”をした話。
肝試しをしたのは、薄暗い森の中だった。
周りには明かりも少なく、静かだ。
蝉などの虫の鳴く声と風、風に揺れて木の葉が擦れる音だけが辺りに静かに響いている。
この肝試しは”森の中の大岩にタッチしたら入口まで戻ってきて終了”というものだった。
私は楽しんでいたが、同時に怖かった。
この森にはある噂があるからだ。
”妖が出る”という噂や”妖は白蛇で、たまに白い着物を見に纏った銀髪の美しい男に化けて出てくる”という噂、”妖に見つかれば神隠しに合う”という噂があった。
そう、怖いと思いながら色々と考え事をしていると、道が分からなくなってしまった。
私は途方に暮れた。
だが、そんな時のことだ。
足に違和感があると思い、ふと下を向いてみると深紅の瞳をした白くて美しい蛇が一匹、私の足に巻きついて、チロチロと薄紅色の細い舌を口から覗かせていた。
私は噂を思い出して一瞬怖くなったが、白蛇を見ているうちに何故か落ち着いた。
白蛇を腕に巻き付けると、頬擦りをしてきた。
”可愛い”
白蛇と見つめ合って数分。
白蛇がスルスルと私の腕を離れていく。
そして、白蛇が白く光り出す。
”えっ?”
白蛇の光が収まったかと思い、白蛇の方を見る。
”・・・誰?”
そこには、白い着物を身に纏った、銀髪で色白の美しい男が佇んでいた。
”私は先程の白蛇だよ”
”・・・えっと”
”この森で迷ってしまったんだろう”
”えっ、あっ、はい”
”着いてきなさい”
白蛇の化身は私の頭をそっと撫でる。
とても安心する。
私は白蛇の化身に手を取られ、手を繋いで歩く。
そして、着いたのは霧のかかった集落。
そこで、私の頭の中に何かの映像が流れる。
”思い出したかい?”
”少しだけ”
”君はここの姫だったんだ”
”思い出しました”
”この集落は人が居なくなってから数百年経つ”
”そうですね。元から人では無いものが集まってできた集落で、迫害から逃れてきたものも多く居た”
”今や、ここへの未練があって死んでも霊としてこの世に留まり、妖となったものたちの集う場所だ”
”嬉しいです。帰って来れて”
”私も寂しかったんだ。君に会えなくて”
”そういえば、婚約者でしたね。私たち”
”そうだよ。今からでも結婚するかい?”
”いいのなら、喜んで”
”今のこの村には昔の住人たちのほとんどが妖や霊となって集っている。昔みたいに静かに暮らそう”
”はい”
”人の世はあまりに生きずらすぎるだろう”
”えぇ、そうですね。私はずっと違和感を感じていた。人の中で生活することに。人の輪に入れずにいたから”
”君を人の中から救い出せてよかった”
そして、私は村へと足を踏み入れた。
”姫様だ!”
”姫様が帰ってきてくださったぞ!”
”ただいま”
”姫様もお亡くなりに?”
”えぇ、生まれ変わったわ”
”そうですか”
”人として生まれ変わったけれど、やはり人の輪には入れないし、馴染めない。私はたまたまこの近くまで来ていて、この村を見て、昔を思い出したの”
”思い出してくださっただけで良かったです”
そうして、私はかつて一緒にいた人たちとの数百年越しの再会を喜んだ。
それからは、昔のような、とても穏やかで、ささやかな幸せを感じることの出来る生活を送った。
今度こそ、離れ離れにならないために。
今度こそ、忘れない為に。
END
ここではないどこかへ行きたい。
今の環境に馴染めていないように感じる。
どこか、疎外感を感じてしまう。
人の輪に入れていないような。
”お前は異物だ”と言われているような。
どうしても疎外感が無くならない。
輪の中に入ろうとして、会話を合わせる。
できるだけ、その場の空気を壊さないように。
でも、何故か壊れてしまう。
場違い。私だけが場違いなのだ。
だから、人とあまり関わらないような所へ行きたい。
人の輪に馴染めない私には、誰ともかかわらないのが1番いいのかもしれない。
もう、疲れてしまったんだ。
繊細な花。
花に限らず、繊細なものは美しい。
すぐに散ってしまう。
動物、植物、例外はあれど、散り際が美しい。
そう、私は思う。
「散る」というのは、「死」だ。
当たり前のことだが。
「死」は、「終わり」は、誰にでも訪れる。
遅かれ早かれ、それは一緒だ。
原因は様々だが、皆平等に訪れるものだ。
「死」は、マイナスに捉えられている。
それは、当然のことだろう。
「死んでしまえば、何もかもが終わり」であるから。
さて、ここで、これを読んでいる方々に問おう。
”「死ねば終わり」だと、誰が決めた?”
”何故、「死ねば終わり」だと分かる?”
この世界は、この世は、未知で出来ている。
死んだらどうなるかなど、生きている我々には分からないのだ。なのに、何故、「死ねば終わり」だと決めつけてしまうのか。
死後の世界ついては、色々な憶測がある。
”善い行いをすれば天国、悪い行いをすれば地獄へ行く”
”死後の世界は、何も無い虚無が広がっている”
一般的な憶測はこのふたつだろう。
だが、これはあくまで”憶測”でしかないのだ。
何故、他の可能性を考えない?
だから、”死が怖い”のではないか。
あぁ、未知だから怖いというのもあるな。
”未知が怖い”それは分かる。
だが、もっと”未知”を楽しんでみてはどうだろう。
あぁ、私の死生観を”疑問”という形で長々と語ってみたが、結論を言っていなかったな。
私は、”死後の世界”というものを見てみたいのだよ。
そして、”人の死は悲しい”が、同時に”美しい”とも思うのだ。不謹慎だとは思うがね。
あぁ、そうだ。
私は”死後の世界”を見てみたいし、”未知を楽しむ”とは言ったが、”死が怖くない”という訳では無い。
これは、人の本能のようなものだ。変えられない。
だが、私は”死にたい”と思う。
本当に私の考えと思いは矛盾しているな。
久々に少し話してみたが、今回はここらでお開きにしようか。では、また、次のお題でな。
子供の頃は。
小さい頃は、何も知らなくて、何も考えなくてよかったから、楽しかった。ただ、純粋に楽しかった。
でも、今思えば、無視されることが多くて、遊びにあまり混ぜて貰えなくて、混ざれたとしても、あまり楽しくなかった。おこぼれを貰っているようなものだったから。だって、「ままごと」をすれば、やらせてもらえた役は「犬」「猫」「おばあちゃん」「おじいちゃん」のどれかで、隅で座っているか、四つん這いで「にゃあ」とか「ワン」とか言うくらいしか出来なかったから。
それに、その当時からグループが出来てて、ボス的な存在もいて怖かった。
そして、成長するごとに「自分が嫌われている」ということに気づいた。自分のやっていること、言っていることは他人から見れば異常だったようで。
私は、変にプライドが高くて、自分のやりたいことや意思を譲らなかったから、小さなトラブルになってた。だからか、何かのトラブルが起きて、私が被害者で先生に助けを求めても、相手にされなかったり、加害者だと決めつけられることもあったり、時には加害者が先生に嘘を言ったり、泣いたりして被害者ヅラをすれば、先生はそっちの味方をするものだから、被害者なのに怒られるなんてこともあった。嫌だったけど、もっと怒られるのが嫌だから、何も言い返せなくて、ただ、泣いていた。
泣いていれば、泣き虫だと言われたものだ。
そこからは、泣かないようにしてきた。
また、酷い先生もいたもので、私にだけ辛くあたる先生もいた。宿題を忘れれば、「忘れてきた人のものは受け取らない。」と言われたし、体調不良だと言えば、「それは思い込みだ。」と言われた。
本当に酷かった。
私はもう、あまり人を信じられなくなってしまった。
それに、「泣き虫」と言われ続けてから、泣かないように我慢していたら、ほとんど泣けなくなってしまった。
もう、何もかもに疲れてしまった。
もう、終わりにしてもいいですか?