ここではないどこかへ行きたい。
今の環境に馴染めていないように感じる。
どこか、疎外感を感じてしまう。
人の輪に入れていないような。
”お前は異物だ”と言われているような。
どうしても疎外感が無くならない。
輪の中に入ろうとして、会話を合わせる。
できるだけ、その場の空気を壊さないように。
でも、何故か壊れてしまう。
場違い。私だけが場違いなのだ。
だから、人とあまり関わらないような所へ行きたい。
人の輪に馴染めない私には、誰ともかかわらないのが1番いいのかもしれない。
もう、疲れてしまったんだ。
繊細な花。
花に限らず、繊細なものは美しい。
すぐに散ってしまう。
動物、植物、例外はあれど、散り際が美しい。
そう、私は思う。
「散る」というのは、「死」だ。
当たり前のことだが。
「死」は、「終わり」は、誰にでも訪れる。
遅かれ早かれ、それは一緒だ。
原因は様々だが、皆平等に訪れるものだ。
「死」は、マイナスに捉えられている。
それは、当然のことだろう。
「死んでしまえば、何もかもが終わり」であるから。
さて、ここで、これを読んでいる方々に問おう。
”「死ねば終わり」だと、誰が決めた?”
”何故、「死ねば終わり」だと分かる?”
この世界は、この世は、未知で出来ている。
死んだらどうなるかなど、生きている我々には分からないのだ。なのに、何故、「死ねば終わり」だと決めつけてしまうのか。
死後の世界ついては、色々な憶測がある。
”善い行いをすれば天国、悪い行いをすれば地獄へ行く”
”死後の世界は、何も無い虚無が広がっている”
一般的な憶測はこのふたつだろう。
だが、これはあくまで”憶測”でしかないのだ。
何故、他の可能性を考えない?
だから、”死が怖い”のではないか。
あぁ、未知だから怖いというのもあるな。
”未知が怖い”それは分かる。
だが、もっと”未知”を楽しんでみてはどうだろう。
あぁ、私の死生観を”疑問”という形で長々と語ってみたが、結論を言っていなかったな。
私は、”死後の世界”というものを見てみたいのだよ。
そして、”人の死は悲しい”が、同時に”美しい”とも思うのだ。不謹慎だとは思うがね。
あぁ、そうだ。
私は”死後の世界”を見てみたいし、”未知を楽しむ”とは言ったが、”死が怖くない”という訳では無い。
これは、人の本能のようなものだ。変えられない。
だが、私は”死にたい”と思う。
本当に私の考えと思いは矛盾しているな。
久々に少し話してみたが、今回はここらでお開きにしようか。では、また、次のお題でな。
子供の頃は。
小さい頃は、何も知らなくて、何も考えなくてよかったから、楽しかった。ただ、純粋に楽しかった。
でも、今思えば、無視されることが多くて、遊びにあまり混ぜて貰えなくて、混ざれたとしても、あまり楽しくなかった。おこぼれを貰っているようなものだったから。だって、「ままごと」をすれば、やらせてもらえた役は「犬」「猫」「おばあちゃん」「おじいちゃん」のどれかで、隅で座っているか、四つん這いで「にゃあ」とか「ワン」とか言うくらいしか出来なかったから。
それに、その当時からグループが出来てて、ボス的な存在もいて怖かった。
そして、成長するごとに「自分が嫌われている」ということに気づいた。自分のやっていること、言っていることは他人から見れば異常だったようで。
私は、変にプライドが高くて、自分のやりたいことや意思を譲らなかったから、小さなトラブルになってた。だからか、何かのトラブルが起きて、私が被害者で先生に助けを求めても、相手にされなかったり、加害者だと決めつけられることもあったり、時には加害者が先生に嘘を言ったり、泣いたりして被害者ヅラをすれば、先生はそっちの味方をするものだから、被害者なのに怒られるなんてこともあった。嫌だったけど、もっと怒られるのが嫌だから、何も言い返せなくて、ただ、泣いていた。
泣いていれば、泣き虫だと言われたものだ。
そこからは、泣かないようにしてきた。
また、酷い先生もいたもので、私にだけ辛くあたる先生もいた。宿題を忘れれば、「忘れてきた人のものは受け取らない。」と言われたし、体調不良だと言えば、「それは思い込みだ。」と言われた。
本当に酷かった。
私はもう、あまり人を信じられなくなってしまった。
それに、「泣き虫」と言われ続けてから、泣かないように我慢していたら、ほとんど泣けなくなってしまった。
もう、何もかもに疲れてしまった。
もう、終わりにしてもいいですか?
日常。
日常って、必ずしも良いものでは無い。
人にとっての日常は、私にとっての非日常。
私にとっての日常は、人にとっての非日常。
私は日常に疲れてしまった。
昔の日常と今の日常はちがう。
私の昔の日常は、怒られてばっかりで、注意されてばっかりで、呆れられてばっかりで、トラブルばっかりで、人への気の使い方なんて分からなくて、嫌われてばっかりで、人がどんどん離れていく。
厄介払いされて、無視されて、白い目で見られてた。
私の今の日常は、そういうことが減った。
でも、まだ無くならないし、この時のことはよく覚えてて、またこうなるんじゃないかって常に怯えて、人に気を使って、猫かぶってる。そして、すぐ疲れるようになったし、ずっと体が重くて、眠くて、体調が優れないことが多くなった。
何もしたくないと思うことが多くなった。
楽しいことが心から楽しめなくなってしまった。
もう、何もかもが嫌だ。
日常的に死にたいと思うようになってしまった。
最近は失敗することが多くなってしまった。
不安なことが多くなってしまった。
もう、終わりにしたい。
でも、何もかも我慢するしかなくて。
ずっと笑っているしかなくて。
私は、普通に振る舞えているのだろうか。
何もかもが不安。
もう、本当に終わりにしてしまいたい。
逃げ出してしまいたい。
でも、出来るわけないよね。
だから、もっと頑張らなきゃ。
それが、私の日常。
もう、疲れてしまった。
色々なことがありすぎて。
何もかもが精一杯で、どうしようもなくて。
ずっと、心を不安が支配してるの。
不安な原因はいくつか分かるけど。
それだけじゃなくて。
理由も分からない不安が常にある。
苦しくて、辛くて、押しつぶされそう。
常に何かしら不調で。
頭痛い、眠い、だるい、気持ち悪い。
もう、どうしようもない。