これまでずっと
これまでずっと自分のことが嫌いでしたが、これからは大嫌いになりたいと思います。
いいえ本当は、常に自分自身を呪うくらいには憎んでいます。
なぜ私は、他人を傷つけておいてものうのうと生きているのだろう。
自分のミスが許せない。
他人に迷惑をかけてなぜのうのうと生きているのだろう。
それでもどこかで夢見ている自分がいる。
たとえそれが数分だとしても他人を不幸にしたことがある自分が、人生になにを期待しているのだろう。
これまでずっと自分自身に呪いと生き霊を飛ばしてきたのに、なぜ私は普通に生きているのだろう。
本当はそんなオカルトは存在しないのではないか。
何十年も呪っているのに、少し癌が見つかったくらいなんだもの。
それともまだ、足りない?
1件のLINE
『あなたのことが好きです』
こんな初々しいLINEをもらってみたい。
しかし、実際もらったら即ブロック。
好意を寄せられると同性異性関係なく、気持ちわるくなってしまう。蛙化現象というものだろうか。私は蛙が好きだから蛙になってくれたほうが愛でてしまいそう。
それはともかく、現実的にアラフィフで不細工で口が悪く性格も良くない人間に言い寄る人間など信用ならない。
なにか裏があるに違いないと考えている。(唯一の友だちと呼べる存在だと思っていた人も、私が車持ちだから便利に利用しているだけだった)
赤の他人から愛されるような人格はしていないと自負しているからな。蛙になってくれたほうがよほど信頼できる。
つまり世間での私の存在価値は、告白しなくとも蛙だ。
ペットショップで、一目惚れしましたお家に来てください、と言う爬虫類好きがいるのだから、私に好意を向けてくれる人がどこかにいると死ぬまで希望を持ち続けよう。
目が覚めると
目が覚めると、愛しいあの子の顔が目の前にあった。
いつの間にベッドに入ってきたのだろう。
珍しくぐっすり眠っているようで、私が身動きしても起きる様子もない。
大きな目は閉じられて、きれいな線が描かれている。小さく見える口は実は大きくて、あくびをしたときに喉の奥まで見えるのだ。
「この距離で見ても可愛いいとか奇跡」
耐えきれずに頭を撫でると、気づかれたようだ。
ゴロゴロと喉を鳴らし、にゃあと一声鳴くと、もぞもぞと布団から出ていく。
「あー、ご飯ですね、はいはい」
ちゃっかりフードボウルの前に座って上目遣いの子に勝てるはずもない。
目覚まし時計がなるにはまだ早いけれど、私は猫フードを用意するのだった。
私の当たり前
私はお題について書き出す前に、その言葉の意味を調べることを当たり前としている。
さて今回は当たり前だが「当たり前」を調べてみた。
「当たり前」は漢語の「当然」が語源である。そこまでは持っていて当たり前の知識である。
ついでに目に入った対義語の「有り難し」は蛇足だ。
閑話休題。
「当たり前」の意味を詳しく書くと、「誰にとってもそうであると考えられる物事」ということになる。
しかしここに「私の」がつくと「誰にとっても」の存在が打ち消されてしまう。
多ではなく個の「私」の存在が勝つ瞬間である。
現代における多様性を言い表すには良い言葉だ。
これからは「私の」当たり前であっても、聞き手や読み手が受け入れることを当たり前の世界にするのだ。
街の明かり
この言葉はある世代には刺さるのではないだろうか?
私はこの世代でも下に位置しているけれど、よく覚えている。
『ブルー・ライト・ヨコハマ』
……お題を見てからこの歌が頭から離れんのです。
タスケテ。