花畑なんて撮るようなものじゃない。
便利な機械、所謂スマホやカメラってやつらが出てきてから人間はなんでも機械越しにものを見るようになった。
ふとした瞬間に出会う、綺麗な景色や花。
この感動を忘れぬようにと機械の中に閉じ込めるのが最近の流行りだけれど、結局それをしたところで常に見返すわけでもないだろうと周りの奴らを見て思う。
それに気づいてからスマホは持ち歩かなくなった。
今は綺麗だと思った花や景色に出会ったら、何年経ってもすぐにその情景を思い出せるくらいにまじまじと見つめている。
目があるのだから、記憶する力があるのだから、使わずに生きるのなんてもったいない。
誰よりも人間を満喫してやるさ、私は。
空が泣くわけないだろう。
比喩表現で使われているのは知っている。
けれど雨が降っていたら、神様が泣いているって言うだろう?
だから空が泣くわけないだろ。
二年ほど顔は見ていないけど今でもあの子は私の中できらめきを放っている。
恋路に迷い続けていた私が、あぁ、あの子のこと好きなんだなと自覚したのは会わなくなってからだ。
正直自分以外に興味は持たない人間で死ぬまでそのそのままだろうと思っていた。
その概念をがらっと変えてしまうほど私にとってあの子は特別なんだと思う。
いつかこの想いを会って伝えようなんて、今更思わない。
私はあの瞬間のあの子が好きなのだから、きっとこの二年で私もあの子も変わってしまっているに違いない。
これは今の自分との約束のために残しておこうと思う。
今日、本を音読していた時にふと自分の滑舌が良くないことに気づいた。
厳密に言えば口の可動域が狭くなったのを感じた。
精神疾患になってから人と関わることをやめ自宅で好きなことをしてばかりいたから当たり前なのだが、なんだが自分の得意分野が消えかかっているように思えた。
学校に通っていた頃は常に人の前に出て堂々とわかりやすく話すのが私の特技とも言えるので、毎度皆からは賞賛の嵐を貰っていた。
しかしそれはもう昔の話だ。
私自身この特技は消えることの無いものだと思い込んでいたが実際は努力で積み上げたが故に継続しなければいつかは消えるものだと気づいた。
人間は本当に些細なことで大切なものに気づく生き物だと今日をもって実感した。
明日から初心に戻って発声練習をしてみようと思う。
心の灯火、この言葉を見て初めに思いついたのは自分の心の中にあるもの。
弱く、小さく灯されているそれは常に自分の中にある一筋の光のようなもの。
誰にも消されることがない弱い光が常に死んでしまいそうな自分を支えてくれると考えるとなんだが神秘的に思えてくる。
自分でそれを消してしまえば自分は消えてしまいそうな気がする。
だから大切にしないといけない。