蓮池

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6/1/2023, 12:58:38 PM

梅雨

傘をわざと忘れた。
彼と一緒に帰る口実が欲しくて。
少し君の肩が濡れるから、ちょっと寂しい。
君の腕を引いて肩を並べた。
嫌いだった梅雨が、君といる間だけは好きでいられた。

5/31/2023, 12:19:28 PM

天気の話なんてどうだっていいんだ。僕が話したいことは、

朝から彼女の機嫌が悪かった。
おはようと言ってもだんまりを決め込んで、コーヒーを用意してそっと彼女の前に置いても窓の向こうを向いたまま。
昨日は怒らせるようなことをしたっけ、と考えてみる。

靴下を丸めたまま洗濯機に放り込んだ。
食器を水につけずにシンクに入れた。
燃えるゴミを出し忘れた。
他にも色々。

思い当たることばかりで血の気が引いていく。
だらしない僕は彼女を怒らせてばかりだ。
でも、いつもなら言葉にして伝えてくれる彼女が、ここまで何も言わないなんて初めてだ。
「あ、あの!ごめ…」

とりあえずで謝ってくるのは好きじゃないから。

以前、彼女がそう言っていたのを思い出して口を閉じる。
でも黙ったままなのも耐えられない。
「き、今日はよく晴れたね!」
「…」
「散歩したら気持ち良いんだろうな〜!」
「…」
「洗濯物もよく乾きそうだよね!」
「えっと〜…」
青空を見上げたままの彼女に不安が募る。
こんな話がしたいわけじゃない。
言葉を一生懸命探してはうろたえる僕に、彼女が小さく笑った。
「ホントに仕方ないなぁ」
呆れたような顔で、でもちょっとだけ優しさを混ぜた笑顔にようやく僕も笑うことができた。
天気の話なんてどうだっていいんだ。僕が話したいことは、

君がいないと生きていけないということ。

5/30/2023, 12:31:35 PM

ただ、必死に走る私。何かから逃げるように。

とくに何があったわけでもない。
変わらない日常、変わらない風景、変わらない私。
これを平和と言うんだろう。
誰かから見れば贅沢だと怒られるんだろう。
でも、どうしようもなく感じるこの息苦しさは何だろう。
私は何か間違えているんだろうか。

街中を走る。
叫び出したい衝動を、乱れた呼吸で誤魔化す。
形のない何かに捕まらないように、必死に走った。
その先には、また変わらない日々が待っている。

5/29/2023, 12:11:54 PM

「ごめんね」

アイドルになりたかった。
キラキラでふわふわな衣装を纏って踊る姿は私の憧れ。
そのために厳しいレッスンを乗り越えて、私はステージに立つ資格を手にした。
マイクを持って、あの頃夢見たキラキラでふわふわな衣装を纏う。
今、ステージの向こうでは沢山の人が私を待ってくれてる。
高鳴る心臓を押さえて深呼吸を一回、二回、三回。

皆が私の味方だったわけじゃない。
たいして可愛くないくせに、とか
もっと上手く歌える子がいるのに、とか
踊りが下手、とか

そんなの私が一番分かってる!
あの子の方が可愛くて!
あの子の方が歌が上手くて!
あの子の方が踊りが魅力的で!

でもそんなことで諦められない!!

メイクや表情の作り方を勉強した。
可愛くなったよねってみんなに褒められた。
ボイスレッスンやダンスレッスンに通い詰めた。
歌も踊りもあなたが一番だよって認めてもらえた。

準備はできたよ。
一、二、三。
ステージに飛び出した。

「可愛くてごめんね?」
歓声が私を包み込んだ。

5/28/2023, 12:57:49 PM

半袖

通学のためにバスに乗る。
真ん中辺りの席の前に立つ彼を一瞬見つめて、気付かれないように人の間に隠れる。
こっそり覗くと、彼は外の景色を眺めている。
紺色の制服から白い半袖に変わっていた。
袖から伸びる腕は日焼けしているから、運動部かもしれない。
春からバス通学になって、いつも見かける彼が気になっていた。
きっかけはお婆さんに席を譲る所を見てから。
こんなに自分が単純だなんて思わなかった。
声をかける勇気はなくて、毎日こうやって彼を見つめるだけで精一杯だった。
『次は☓☓☓前…』
「わっ」
バスのアナウンスが流れ、扉が開くとドッと人が乗り込んできてどんどん押し流されていく。
いつもならこんなに多くないのに。
人に押されて倒れかけると、腕を掴まれて誰かに支えられた。
「大丈夫?」
「…あ、はい!あ、ありがとぅ、ございます!」
引っくり返った声が恥ずかしい。
赤くなる顔を見られたくなくて俯いた。
逃げる隙間もないから、そのまま彼の隣に立つことになった。
「たまに人が多いんだ、このバス」
「そうなんですね…」
恥ずかしがる私に気を遣ってくれたみたいで、彼から話しかけてくれた。
どうしよう、どうしよう。
変な汗かいてるけどニオイとか大丈夫かな。
寝癖直したはずだけどまだ跳ねてたかな。
髪が跳ねてないか確かめるために上げた右腕が、彼の左腕にぶつかる。
「ご、ごめんなさい!」
「こっちこそごめんね。痛くなかった?」
また声が引っくり返るのが嫌で、何度も頷いた。
彼は良かった、と言った。
それから何も言わなくなった彼をまたこっそりと見上げた。
いつもよりずっと近い距離だから顔を見られなくて、半袖辺りを見ることになったけれど。
(もし彼と一緒に歩けたら、こんな感じなんだ…)
そんな青い夏を一人空想する。
残り時間はあと十分くらい。
私には、まだ半袖分だけ足りない。

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